私が大石先生に初めて会ったのは忘れもしない平成11年4月6日である。その日は始業式の前日で、新任の先生にとってはこれから自分の半生を過ごす場所に採用試験を除いて初めて足を踏み入れた日でもある。私の同期は大石先生と岩上先生。(専任はこの3人で、講師として田中充先生や神尾先生も同時期に駒込に入っている。)
そんな初めて駒込で仕事をする日、私はとても緊張していた。最初の仕事は、その日の会議の資料を綴じることだった。大した仕事ではないのだが、そのとき、当時の教頭先生が「大石君、これ、いつものように綴じておいて!」と新人の先生相手に驚きの発言をしたのだった。「はっ?この人(大石先生)は新人なんじゃないの?何者?」と感じた衝撃は今でも忘れられない。
結論をいうと数年前から大石先生は事務として駒込で働いていただけなのだが、そのときは本当に衝撃的だった。
また、平成14年1月19日の土曜日、この日は学年の保護者との懇親会だった。私は柔道の大会があったので、遅れて参加した。そして到着早々、「挨拶を!」と言われたので予定通り、「今日は私の誕生日をこんな盛大に祝っていただき有難うございます」と話して会場を沸かせた。
「おめでとう!」という言葉より笑いが多かったのはその前に大石先生も同じ言葉を話していたからだろうと予測していたのだが、私が続けて、「今日で28歳になりました」と言ったときに驚きの声が上がった。そのとき“何故、28歳になったと言っただけでこんなどよめきが起こるんだ?「30を超えていると思ったのに意外に若いな!」っていう感じではないぞ?”と不思議に思っていたのだが、すぐに判明した。
保護者から「(長田)先生って大石先生より年上だったんですね!」といわれたからだ。大石先生は24歳だと答えたそうだ。干支を聞かれたときに、その年の干支を答えればばれないというネタを使ったようだ。まったく・・・。
なぁ~んてふざけたことを言っているが、“誰と同じ学年を組みたい?”と聞かれたら、「大石(筑土)先生」と迷わずに答える。それは同期だからとか誕生日が同じだからとか、雨の日は自宅まで送ってくれるとかそんなことではない。(苦笑)
ただ、大石先生と組めば何でもできそうな気がするからだ。
進路チーフとして表舞台に出たのが私だったので、あまり知られていないが、大石先生の手助けなしでは、決してこの行事は成功しなかっただろう。私が大石先生に“こんなことをしたいんだけど”とあるテーマで難題を押し付けても“いいよ、じゃあやろうか”と気軽に言って私をフォローしてくれる。企画実行が長田、事務処理が大石先生という組み合わせはスムーズな連携で機能した。
現在行われている、高校1年次の“職業を聞く会”、2年のときの“学部学科説明会”、これを始めたのは私と大石先生で平成14年からだからもう10年以上経つ。卒業生や生徒の保護者などに依頼して行ったのだが、ものすごく好評で、それ以来、駒込の学校行事となって今でも継続されている。
ただ、初めて行ったというのもあり、これは、長田や大石がいないと実施は難しいという事で学校行事になってから数年は教員の負担を減らすということで業者に委託していた。しかし、平成23年にカンブリア宮殿での品川女子の取り組みをを見た大石先生が、「やっぱり業者に頼んではダメだ!」と言って、平成24年からまた卒業生主体に戻した。
生徒会だよりの私の紹介文に“厳しさの中に包まれた優しさ”という言葉があった。嬉しかったが、私は数年前にもこの言葉に出会ったことがある。それはある生徒が卒業文集に書いたセリフだ。その生徒は2年生のときに大石先生の生活指導が厳しく、大石先生のことを嫌で仕方なかったらしい。そして3年になって、生徒に口うるさく言わない、優しい先生にあたり、最初はとても喜んだそうだ。
しかし、その先生は進路指導も口うるさく言わないので、受験に悩んで相談してもアドバイスがもらえないことに不満を持つようになった。その一方で、大石先生が自分のクラスの生徒を叱りながらも、熱意を持って指導している姿を見て、自分の考えが間違っていたことに気付いたのだった。そのような話を主体にしながら、“真の優しさとは厳しさの中にこそある”ということを締めの言葉として、その生徒は卒業文集を書き上げた。
残念ながら教員批判も含まれた文章なので、書き直しを命じられ、どこにも文書として残っていないのだが、これを読んだときに“流石、大石先生”だと感心したし、そんなことを書かれる先生になりたいと思った。
私も熱心に柔道部を指導しているが、大石先生も剣道部に情熱を注いでいる。元々は教員1年目の終わりにクラブ担当決めの際“柔道部”を希望したのだが、柔道部を私に奪われて剣道部担当になったという経緯がある。大石先生はそれから初めて剣道を習い始めたのだが、なかなか出来ないことだと思う。
大石先生が顧問になってから、内藤コーチが加わり、梶間先生も担当するようになって活気が溢れ大会で優勝をするまでになった。しかし元をたどれば、大石先生が様々な縁を大切にして、あまり活動していなかった剣道部をここまでにした土台を築いたということを剣道部員は忘れてはいけない。
機会があれば多くの生徒に関わってほしいと思う先生こそ、私にとってかけがえのない盟友である大石斉先生だ。
そんな筑土先生だが、今年度で駒込学園を去ることになった。私の方が若いので、いつかは見送らなければならない、そんな日が来ることを覚悟していたが、想像以上に早くやってきた。お坊さんの宿命かもしれないね。
最後は盛大に送り出したかったが、裏方が好きな大石先生に拒否されたので、こじんまりとした形で送り出したい。
なぁ~んて言っているけど、家も近いから、きっとこれからも会うだろうし、合同誕生会は継続するんだろうな~
(「2人とも早く結婚しなさい!」という突っ込みは不要ですww)
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