前を向くPart.2

柔道部を除くと、長田が一番親しい卒業生は「せいじ」である。

長田が駒込に就職した年に授業で担当したのがそもそものきっかけだ。

その後、実家を出て独り暮らしを始めた駒込駅付近に「せいじ」も住んでいてサンクスでマンガを立ち読みしていたときに話しかけられたあたりから仲良くなったような気もする。

卒業後もちょくちょくあったし、楽修合宿にも毎年遊びに来てくれる。「せいじ」が癌になったときには「こち亀」を100巻ほど見舞いの品に送ってみた。

毎冬恒例の寿司大も、最初は「せいじ」と「あやね」の3人から始まった。長田祭も真夜中に寿司大に並んでいるときの「長田先生の40歳の誕生日会はどこかを貸し切って行いましょう!」から始まった。

「せいじ」ってとにかく前を向いて突き進む男である。試験前日に「先生ベクトルを教えてください」と言ってきたのにテストではクラストップだし、駒込に入学したときは一番下のクラスだったのに早稲田に入学しちゃうし、そのあと癌にかかっても(少なくとも表面上は)ケロッとしていたし、そして完治させちゃうし、就職先もメッチャいいところだし、今はなんかすごいプロジェクトに関わっているし(あんまり詳しく書くと怒られそう・・・)そんな忙しそうにしながらも、職業を聞く会にはきちんと顔を出してくれるし・・・。

 

 

いや~、本当に凄いやつだな~って思う。

やっぱり何事にも前を向いて行動できるから、こんなに凄い人間になれるんだな~って思う。

さて、そろそろ長田祭Part.2でも考えようか!ww

 

 

下は昔「前を向く」というタイトルで書いたコラムです。

私が駒込に赴任した年の高校1年生に『せいじ』はいた。授業を担当したこともそうだが、近所に住んでいたこともあって、柔道部を除けばかなり仲が良かった生徒である。そのため、『せいじ』が早稲田大学に進学後も学習合宿にボランティアで参加してもらっていた。

7(?)年前の冬合宿も、大学院に進学していた『せいじ』にサポートしてくれることをお願いした。しかし、今回は首に、しこりのようなものがあり、検査などをするので参加を確約できないといわれた。そして、直前になって入院することになりそうだと言われて残念ながら不参加となった。

そんな冬の学習合宿の最中、『せいじ』からメールがあり、東京駅のほうの病院で診察する用事ができたので、診察の後に晴海のホテルに寄りますとのことだった。そして21時くらいだっただろうか、彼はホテルに来て挨拶した後「先生、ぼく癌になっちゃいました」といつもと変わらない口調で淡々と喋り始めた。

簡単に言うと、リンパ系の癌でステージⅢまで進行しているとのこと。ただ、癌を抑制するウイルスみたいのを体内に持っているので、抗がん剤治療で7割がた完治するだろうとのことだった。完治する可能性のほうが高いとはいえ、死ぬ可能性もあるのだ。『せいじ』の発言を聞いて、私は強い衝撃を受けた。

しかし、『せいじ』は本当に『せいじ』らしかった。そんな告知のあと、「こんな経験は滅多にできないので楽しもうと思ってるんですよ。」とか「抗がん剤治療を続けると禿げちゃうらしいので、その前にモヒカンにしようと思っているんです」というような発言を笑顔で喋っていた。

早稲田大学にに受かったときも、ものすごい前向きだなと思っていたが自分の生死がかかっている状況でこのような発言ができるとは、こいつはとんでもない奴だと思った。
年が明けると『せいじ』は早速駒込の近くにある日医大病院に入院したので見舞いに行った。そうすると『せいじ』は病室で自分の病状を担当医のように説明し始めた。「この写真の光っているところが腫瘍なんですよ。それでこれを抗がん剤治療で2週間おきに飲んで消していくんです」といつもの口調で笑いながら話をする。しかし、写真を見る限り、胴体の半分以上は光っていて体全体に蔓延していた。私は話を聞いているだけで泣きそうだった。

その後、治療の効果もあって自宅からの通院治療となった。しかし、自宅にいても良いとなっても抗がん剤による治療は辛いらしい。抗がん剤はがん細胞を消すと同時に他のウイルスも殺してしまうので、大幅に免疫力が低下してしまい、風邪などに簡単に発病してしまう上に治らないのだそうだ。それだけ強力なため、抗がん剤が効いているときは、何もする気が起きないらしい。
そんな大変な抗がん剤の治療が半年ほど続いたのち、腫瘍もなくなり完治した。そして休学していた早稲田の大学院に復学して卒業。現在は世界最大手の外資系経営コンサルティング会社で働いている。就職したら合宿に来ないだろうなと思っていたが、毎回必ず差し入れを持って登場してくれる。

毎年恒例の冬合宿中の寿司大。これも「せいじ」、「あやね」との3人から始まった。一度だけ、長田以外教員がいなかったとき、「ホテルから出ることが出来ないから、今年はなし」と言ったにも関わらず、寿司を購入して持ってきてくれた。そのときに長田が特上を食べまくって「せいじ」から怒られた(笑われた?)のも、今は懐かしい話だ。

そして、昨年の長田祭。あれも「せいじ」発案である。「せいじ」が何かを始めようとすると、すべてが実現可能な気がしてならない。
『せいじ』は駒込に入学した当時進学クラスだったが、早稲田大学に合格した。教員の誰もが無理だと思っていたに違いない。身近にいた私がそうだった。しかし、『せいじ』自身は「なんとかなるだろう」と思いながら準備を怠らず対策をたて、高い倍率をくぐり抜けて合格通知を受け取った。
『せいじ』が、早稲田に入り、良い就職先につけたのも、そして癌を治せたのも、常に前向きに行動してきた結果ではないだろうか。『せいじ』の身近にいるとそう考えざるをえない。

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