私が一番受けたいココロの授業。その1

食で身体に栄養を!

本で心に栄養を!与えよう!

ということで長田が好きな本の好きなコラムを紹介します。

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私が一番受けたいココロの授業―人生が変わる奇跡の60分

私が一番受けたいココロの授業―人生が変わる奇跡の60分

  • 作者: 比田井 和孝
  • 出版社/メーカー: ごま書房新社
  • 発売日: 2008/07/20
  • メディア: 単行本

三國の鍋洗い

三國さんといえば、フランス料理の第一人者です。「世界に知られる日本人シェフ」と言われています。三國さんは昭和29年に生まれました、でなんど昭和44年、15歳のときに北海道でナンバーワンって言われる札幌グランドホテルの厨房に入ります。この人、ものすごい才能があったんですね。たった数年間働いただけで、若くしてそこの花形シェフになるんです。

でもこの人、まだまだ志が高いんです。料理の頂点を目指して東京に行くんです。行った先は、帝国ホテル。当時、日本一のホテルです。その時、総料理長は村上信夫さん。「ムッシュ村上」と呼ばれていた方ですね。フランス料理では日本一と言われていた人です。村上さんは平成17年に84歳で亡くなってしまったですけどね。

三國さんは、最初の日に、その村上さんから「鍋でも洗ってもらおうか」と言われます。三國さんにしてみれば「俺は札幌グランドホテルで人気シェフだったんだ!」というプライドもあったでしょう。「その俺に、鍋洗いをさせるとは、どういうことだ!」ってムカッとなったそうです。

でも三國さんはさすがです。「それなら、三國の鍋洗いを見せてやろう」と思い、その日は徹夜で、鍋の取っ手のネジまではずして、キレイに磨き上げたそうです。

そして、翌朝その鍋を調理台の上にズラ~っと並べておいたそうです。村上さんはそれを見て、三國さんに「キレイに洗えていたね」と言ったそうですが、三國さんが「今日は何をさせてもらいましょう?」と聞いたところ、また「そうだなぁ、鍋でも洗ってもらおうか」と言ったんですって。

で、なんと、このあと三國さんは2年もの間、鍋洗いをし続けたそうです。もちろん、悔しかったと思いますよ。でも、三國さんの偉いところは、そのときに、「鍋洗いなんて・・・」と手を抜くようなことはしなかったんです。「そんなこと言うのなら、俺の鍋洗いをみせてやる!」と来る日も来る日も鍋をピカピカに磨き続けたんですね。隅々まで。

でもさすがに2年間も鍋洗いを続けていて、「このままここにいても料理の腕は上がらない」と思ったらしいですね。もう、村上さんのところに行って、「辞めさせてください」と言おうかと思っていたんですって。

でも逆に村上さんに呼ばれて、「来月から、スイスの日本大使館公邸の料理長をやってもらう」と言われたんですって。これ、ものすごい大抜擢ですよ。鍋洗いばかりしていたんですよ。三國さんは。料理なんてそんなにしていないんですよ。帝国ホテルに来てからの、この2年間。しかも二十歳ですよ。二十歳。

スイスの日本大使館公邸の料理長と言えば、各国の王室関係者、首相、外務大臣などが訪れるわけですよね。そんな、VIP達の夕食会や公式行事で、どんな料理をもてなすのか、ということは本当に大事なことですよ。

周りの人は猛反対したそうです。「鍋洗いしかしていない三國をなんでそんなところにいかせるんですか!?他にもっと優秀な料理人がたくさんいるじゃないですか!」当時、帝国ホテルには600人以上いたそうですよ。料理人が。

そのとき、村上さんは「鍋洗い一つ見れば、その人の人格がわかる。技術は人格の上に成り立つものだから。あいつだったら間違いない」って言ったそうです。すごいじゃないですか。でも、それくらいの鍋洗いだったってことですよね。これこそ本気の鍋洗いですよね。

三國さんは、「料理道具がキレイでなければ気持ちよく料理を作れない。もちろん、いい料理なんて作れないはずだ」という信念があったそうです。

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「自分への評価は結果を出すことで変えることができる」と言いますが、誰も見ていないように感じても、結構見てくれているもので、こういう日々の行動が他者に影響を及ぼしている。そんなことは、この世の中にたくさんあります。

さて、長田も負けないように、生徒の為に頑張るかな。

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