Give and Take

Give and Take

辞書で意味を調べると、①公平にやりとりする。②互いに譲り合う。③意見を交換すると出てくる。日本においては、④もちつもたれつ的な意味を加えてもいいだろう。

しかし、自己啓発などの本を読むと直訳のように
「与えるものは与えられる」
と出てくる。

日本のことわざでいうと、「情けは人のためならず」といったところだろうか。たまに、このことわざの意味を「情けをかけることはその人のためにはならない。」と勘違いしている人がいるが、「人に情けをかけることは、巡りめぐって自分に返ってくる。だから周囲の人に親切にしなさい」という意味である。

7年前、サプライズで柔道部の顧問10周年を祝ってもらった。一昨年自分も主催として関わっているが、誕生日会を花やしきで盛大に行うことができた。

顧問10周年に関しては現地に着くまでずっとOB会だと疑っていなかった。フロントで卒業生の保護者に足止めされて、初めて「なにかがおかしい・・・」と気づいた。あまりのサプライズで何を話していいか分からず、1時間以上(酔っ払っていてあまり記憶に残っていない)話をしてしまったことは恥ずかしい記憶である。

一昨年の誕生日会はせいじの「遊園地で盛大におこないましょうよ」という提案がなければ、絶対に行われなかっただろう。そして偶然ながらも卒業生であり、駒込の教員である細野がいろいろとサポートしてくれたから、無事に終わったと思う。

この2つのイベントは長田が願ってもいないことである。もちろん、後者は自分も手伝ったわけだが、もし、自分からやろうと言って、実現できただろうか?答えは否である。

どうして、長田がこんな感じで祝ってもらい、幸せな気分でいられるのか?

自分で出した結論は「周囲に自分の時間とお金と情熱を捧げ続けてきた」から。たぶん、それをこのような盛大な会で返してもらったのだろう。そう、「与えられるものは与えられる」、こういう経験をして、やっと身に染み込んだ。

お金で愛は買えない、お金で幸せも買えない。だけど、替えることはできるかもしれない。

「先生ってもしかして寂しがりや?」「もしかして暇?」と思われるかもしれない。それもあるが、自分が幸せになるために、人に時間とお金とそして情熱を与え続けているだけだ。

夢を叶えてあげるためには一人の力では叶えられない場合が多い。ならば周囲の人々の夢を叶える手伝ってあげよう。きっと、それが回りまわって、自分に戻ってくる。実際に長田にはお金や時間の換わりに多くの幸せな出来事が戻ってきている。

前も書いたが、「皆で一緒に幸せになろうぜ!」
そのために、縁ある人々を幸せにしてあげよう。

今年度は、高2の担任だが、数多くの受験指導をした。

他校の高3もそうだし、中学受験も久しぶりに指導した。

 

あと、今年は数学の指導よりも、メンタルアドバイスが多かった。

縁有る人々を幸せにするために、長田が持っているものをどんどん与えていきたい。

そのためにも、持っているものをどんどんふやしていかないといけない。

 

学ぶことを止めるならば教えることを辞めなければならない。

これを座右の銘としてもっともっと頑張りたい。

 

もらえるものは笑顔、これで十分だ。

 

 

自分の夢を叶えたければ、まずは人に与えることだ。

そうしたら、必ずその人たちがあなたに夢を与えてくれるだろう。

 

 

 

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