究極の説得力。その2

食で身体に栄養を!

本で心に栄養を!与えよう!

ということで長田が好きな本の好きなコラムを紹介します。

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究極の説得力 ~人を育てる人の教科書~

究極の説得力 ~人を育てる人の教科書~

  • 作者: 平 光雄
  • 出版社/メーカー: さくら社
  • 発売日: 2014/01/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 2:まず「受け止める」器の大きさが必要なのだ
 放課後の職員室。ヒロシが浮かぬ顔をしているので声をかけた。
職人教師「どうした?」
ヒロシ 「いろんな子やいろんな親がいますよねー。わがままな子は多いし、なんだかすぐに言い 返す子もいるし、身勝手な要求ばかりしてくる保護者もいますし.…..ちょっと腹立たしい 気持ちもありますね」
職人教師「でも、それらを受け止めるのが教師という仕事の前提なんだよ」
 教師は、毎日たくさんの子と対面し、 「励まし、育てる」という大きな任務を背負っている。その 任務を遂行するのに、まずは子どもとのよい人間関係を築かなければならない。 その第1歩は、子どもたちを「受け止める」ということだ。 何を受け止めるのか。
子どもたちの「心」だ。
それは、期待であり,希望であり,要求であり、不安であり、時にわが ままであり、反抗心である。 保護者の「私だけ」 「わが子だけは」というわがままや高学年女子の「なんでそんなこと守らなきゃ いけないの?」といった反抗心等々、受け容れがたいものも当然ある。
しかし、まずは受け止める。 受け止めることが、相手を理解するための第一歩だからだ。受け止め、その子の思考の源を探ってみる。すると、その心の奥にある不安感やそれを引き起こ させている状況や過去の歴史が見えてきたりする。 そうして少しでも理解できれば、少しでも望ましい方向への対策も立てられる。
それをせずに自分の理想の方向に導こうと思っても、うまくいかない。かえって大きな反発を招 くことも多い。相手理解のないところに、受け容れられる指導はつくり得ないのだ。相手が子ども であろうと、保護者であろうと、集団であろうと。
学級集団のスタートでこうした事態だけは絶対に避けなければならない。 個々の子どもたちを受け止めるために、対話をして、ノートやプリントに書かせて、 一緒に遊んで、 そのメッセージやつぶやきなどからその心を知り、心の源を知る努力をする 個々の子どもについて、 その性分(第2章の2で述べるが、 「外向型」の気質を持っているか「内向型」かなど)を知る。
子どもたちに人気のアニメ「名探偵コナン」は、ほんの些細な手がかりから、その奥に潜むものを読み取る。そこがこの物語の面白さなのだが、 「受け止める」には、この人気主人公のような情報 収集への貪欲さと冷徹な分析能力が必要だ。 コナンに学ぼう。
思春期の子ともなれば、自立心の 裏返しとしての反抗心も強い。 いわゆる「憎たらしい子」 「生意 気な子」 「偽悪的な子」も多いだろう。 その子たちを受け止めるには、少々覚悟が必要となるだろう。 そこで最初から自分の正義を振りかざしてしまったら、もう人間関係は築けない。以後苦労する のは教師の方だ。可愛くなくても、嫌な感じがしても、 「許せない!」と思うことがあっても、なん としてもなにがなんでも、まずは受け止めるのだという覚悟が込要なのである。
で、どうするかといえば、その相手と同列にならないことである。たとえすぐにいい関係が築け なくても、もしかして度を越したような出方で相手が来ても、決して同じレベルで対応しないこと である。 同じ感情のステージに立ってはいけない、と言ってもいいだろう。
同じベクトルの感情をもつも の同士の間に, 「受け止める」という行為は存在し得ない。怒りは怒りで受け止められない。反発し 合うだけである。 ならば、受け止める側が心して違う感情のステージに立つしかない。 ときには企業のクレーム処理担当のように、穏やかに,かつ毅然とした対応をすることも、教師 として必要な態度となる。
しかし、こうしたことは頭で考えているだけでできるわけはない。 受け止めるには受け止められ るだけの器の大きさが自分になければならない,大きな器となるために、自分を鍛え、つくり上げ ていかなければならない。そのためには、日々子どもたちを見て、対話して、といった努力とはま た別の,自分自身を大きくしていく努力が必要になる(その方策は後の各章で述べていくが)” そうした受け止める側、 つまり自分の問題を抜きに、 「受け止める」ことはできない。
もちろん、 「受け止める」 「なんでも受諾する」ではないし,それはしてはいけない。親の要求 に対しても、聞けることと決して聞けないことをきちんと仕分けして、その境目を絶対崩さない。 子どもたちにはよく「先生は「意見」は絶対聞くが、 「文句」は絶対聞かない」と話している。 要するに民主的な話し合いにはいつでも応じるが、利己的な主張は絶対通さないという宣言である。
受け止められず、感情的に爆発してしまうなら、それは自分の器がまだ小さいということである。 そう思おう。 教師にはそうした自覚が必要だ。
ヒロシよ,今、受け止められない子がいるのは仕方ない。そして、その事態を「あいつがとんで もないヤツだからだ」と言うのはたやすい。しかし、それは教師としての本筋ではないのだ。受け止められない子がいたら、それは自分の器を大きくするチャンス、そんな発想をすることだ。
自分の筋道、正義感にこだわっているヒマはない。自分が成長すればするだけ、受け止められない 子は減る。それを目指そう。 自分自身にとっても、その方が幸せだ。
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長田は読書によって、生徒との対話によって、それなりに器を大きくしてきました。まぁ、そういってもまだまだなんですけどね。

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