期待と結果の混同

医療の限界 (新潮新書)

医療の限界 (新潮新書)

  • 作者: 小松 秀樹
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2007/06
  • メディア: 新書

日本人は死生観を失った。リスクのない治療はない。患者は消費者ではない—-。医療の現場を崩壊させる、際限のない社会の「安心・安全」要求、科学を理解しない刑事司法のレトリック、コストとクオリティを無視した建前ばかりの行政制度など、さまざまな要因を、具体例とともに思想的見地まで掘り下げて論及する。いったい医療は誰のものか? 日本の医療が直面する重大な選択肢を鋭く問う。
<amazon様によるあらすじ>

 

この本で一番印象に残った言葉がタイトルの「期待と結果の混同」である。簡単に言うと、患者は医者に対して「治してほしい」という期待が「当然治る」という結果と混同してしまい、「なにかミスをしたのではないか?」という医療不信に陥っているということだ。

 

 

病気を治すのは人間に備わっている自然治癒力である。医者にできることはそれをサポートすることだけである。にも関わらず、医者がすべてを握っているように誤解している人がある。

 

 

これは他の業種のクレーマーにおいても同様のことが言えるだろう。「こうであってほしい」という期待が「これが当然である」という結果に摩り替わり、それが実現されないときにクレームが起こる。
これは言い換えると自分の希望は通らないとおかしいということでもある。

 

 

人間にはミスがつきものであるが、最近はどうもそれが許されない社会になった気がする。これも「ミスをしてほしくない」という強い願望が、「人間にはミスがつきもの」という当然の事実を忘れさせてしまっているからに他ならないのだと私は思う。

 

 

これは夢に関しても同様だ。自分の夢がいつまでたっても叶わないときに、周囲や環境のせいにする人がいる。また、自分の努力不足のせいにすることもあるだろう。しかし、どちらも違うのではないかと長田は考える。

 

 

人にミスはつきもである。それも含めて運不運が存在する。もちろん、運がよいに越したことはないが、現実をきちんと受け止める必要がある。そこから目を逸らして願望だけを追っても何も掴むことはできないだろう。

 

 

最年長Jリーガーである三浦和良の言葉に

 

学ばない者は人のせいにする。

学びつつある者は自分のせいにする

学ぶということを知っている者はだれのせいにもしない。

僕は学び続ける人間でいたい。

 

がある。

 

 

ミスの原因を探り改善することも大事だが、それでもミスをすることはある。
期待と結果を混同することもミスの1つである。

 

現実を受け止めながら一歩ずつ夢に向かって歩んでいきたい。

 

 

幸せになる、幸せにする。幸せに答えはない。あるとしてもその人の心の中にだけある。それを自分の願望と混同しないように。自分の夢も間違えないように、長田もずっと学び続けたい。

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