食で身体に栄養を!
本で心に栄養を!与えよう!
ということで長田が好きな本の好きなコラムを紹介します。
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今回はコチラ。
- 作者:
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2016/10/07
- メディア: 単行本
他人様が起こした火事であろうが、
自分のうちで始まった火事であろうが、
燃えてしまえば、只の灰になるだけで、
(中略)
なすりあいをやってみたところで、灰になってしまえば、
手のつけ様のある筈もない。
昭和28年(1953年)当時、日本経済は未だ戦後の復興の途上にあり、朝鮮戦争による特需も去って、深刻な状況にあった。そんな状況下にあって、経営者たちが、「その原因は自分達にはなく、他のやつのせいだ」と責任をなすりつけあっている。そのことに対して苦言を呈したのが、上の言葉である。
船会社は船価が高くて、国際競争ができないから、船価を下げろと言い、造船業者は鉄材が高いから船価が高い、製鉄屋は石炭が高いという。原因を他のせいにして、少しでも自分達に有利にする。ともすれば国家の補助金をあてにする気分さえ頭をもたげているという状態だ。
だが、次郎は現状を、「日本の経済は根本的な立て直しを要求しているのだと思う。(中略)それほど事態は深刻で、前途は荊の道である」と言う。その現実が見えていないからこそ、そんな無責任なことができる。「今のようなこの土壇場で、人はどうあれ、俺だけは何とかうまく切り抜けてやろうなんていう根性を、発揮できる余地があるとも思わない」というのだ。
つまり、問題解決にあたって、他者のせいにして、堂々巡りの議論をしているうちは、物事は何も解決しない。それどころか、放っておけば、「燃えてしまって只の灰になるだけ」である。火事場には火事場でやるべきことがあるはずだ。
目の前に横たわる難局に対しては、事実は事実として勇気を持って直視直面すること。責任の所在を他人事にすることなく、自身の問題として覚悟を決めることが大切なのである。
次郎は、戦後復興の難局にあたって、次のようにも述べている。「我々の時代にこの馬鹿な戦争をして、元も子もなくした責任をもっと痛烈に感じようではないか。(中略)恐らく吾々の余生の間には、大した好い日を見ずに終わるだろう。(中略)然し我々が招いたこの失敗を、何分の一でも取り返して吾々の子供、吾々の孫に引き継ぐべき責任と義務を私は感じる」
根底にあるのは、その強い覚悟である。
長田
もっと大局を見て決断し、行動したいものです。
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