置かれた場所で咲きなさい。2

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ということで長田が好きな本の好きなコラムを紹介します。
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今回はコチラ。

置かれた場所で咲きなさい

置かれた場所で咲きなさい

  • 作者: 渡辺 和子
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2012/04/25
  • メディア: 単行本

不平を言う前に自分から動く

 

光は人間にとって、きわめて大切なものであり、そのおかげで、私たちは生活できているとさえいえます。今の私達は、光があるのは当たり前という感覚の中に生まれ、育ってきたために、ちょっとのことで、「暗い」と不平を言うようになってしまいました。電灯がなかった時代、それこそ、人は蛍の光、窓の雪をあかりとして、本を読み、勉強をしたと伝えられています。

 

ちょっと暗いといって不平を言い、自分以外の他の人が、明るくしてくれるはずだと考えがちな私達に、「心のともしび運動」が掲げるモットー、「暗いと不平を言うよりも、進んであかりをつけましょう」は、大切な忘れ物を教えてくれています。

 

それは、幸せを他人任せにしてはいけな、自分が積極的に動いて、初めて幸せを手に入れることができるのだという真理です。便利さを追い求め、面倒なことを嫌いがちな現代の忘れ物の1つは、自分が動くこと、そして世の中を明るくしてゆこうという積極性なのです。アッシジの聖フランシスコも「平和の祈り」の中で「主よ、私が暗闇のあるところに、光をもたらすことができるように、助け、導いてください」と祈っています。

 

自分が明るく笑顔でいること。それは平和を世界にもたらす力となるのです。

 

キリストは、罪を犯したがために、暗闇の中に住まざるを得なくなった人類に与えられた「光」、神の愛の輝きでした。

 

ヨハネ福音書はキリストがこの世に、光として来られたのに、当時の人々は、そのことを認めようとしなかったと記しています。

 

私達はキリストのともしびから火を分けていただいて、それぞれが、おかれたところで、一隅を照らす光でありたいものです。

 

自分が積極的に動いて、

初めて幸せを手に入れることができる。

 

他人任せでは幸せは得られない。

自分が光となって世の中を照らそう。

 

まさかキリスト教の人の話で「一隅を照らす」に会えるとは思いませんでした。

お互いを照らしあえる存在になりたいものです。

 

 

 

 

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