さて、今週末はセンター試験ですね。
今日は長田のセンター試験の話でも。
あっ、浪人時代です。
現役時代はよく憶えていません。
試験の順番になっていませんが許してください。
文系科目の明暗
いよいよ始まったセンター試験。予備校では早慶理工クラスにいたが、目標はあくまで筑波大。まずはこのセンター試験で結果を残さなければならない。自信はある。やはり英語力が大幅アップしたのが大きい。1月に入ってから国語と社会を中心に楽修した。準備は万端である。人生をかけた勝負が始まった。
試験会場は一橋大学。静かな場所だった。ついてすぐ試験会場に向かい。その後トイレと休憩室を確認。2度目のセンター試験だけあって落ち着いていた。英語の目標は170点。解いたときの感覚では150点は確実だと思っていた。そして数学Ⅰ、Ⅱ(当時AとBの名称はない)ともに完璧だと思った。試験も30分で解き終わり、もう一度解く余裕があった。
おそらく数Ⅰは100点、数Ⅱはケアレスミスで95点くらいだろうと推測。そして一番難関の物理。私大対策で単元を絞って学習しているので、満遍なく出題されるセンター試験は大の苦手である。原子の部分は本当に適当にマークしてきた。
続いて国語、1年間で1番勉強していない科目だったが、本番では非常に頭が冴えた。現代文は良くわからないが、古文漢文は7割程度獲得できた自信があった。最後は日本史。解いている最中わからない問題が10問出現。消去法で2択まで絞ってあとはヤマカンでマーク。1問2点程度なので80点は固い。まぁヤマカンで10点とって90点程度かと予測。2日間の試験直後の感想は良好。手ごたえも十分あった。試験終了後すぐに帰宅。結果が気になるのでラジオ速報を聞きながら採点を開始する。
まずは英語。刀禰先生の指導もあって急激に成長した科目だ。良い報告を先生にしたかったが、採点をしてみると、思いの外伸びない。結局自己採点では138点だった。ショックだった。数日後、報告すると「たまにそんなこともあるから気にするな」という慰めの言葉をもらった。続いて数学。採点をしてみると、数Ⅰが97点で数Ⅱが100点だった。数Ⅰの間違いが非常にもったいなかった。物理は50点。自分の楽修方法としては及第点だった。
そして国語の採点が始まった。現代文はいつも通り5割程度の出来だった。古文に入ったとき、それは起こった。“4番目の解答がマークされていない!”脳細胞をフル回転させて自分の記憶を呼び起こす。確かに試験中に「この問題は難しいからあと回し」とつぶやきながら飛ばした。しかし、マーク箇所を飛ばしたか?いや空けた記憶がない。そしてこの問題を解きなおした記憶もない。「やっちゃったよ・・・」。真相は分からないがそのとき導き出された結論。
“マークを1つずらして解答してしまった”だった。
筑波が遠い場所に行ってしまった。ものすごく落胆した記憶がある。筑波の換算配点は特殊で250点のうち国語が100点になっていて国語重視になっている。国語は結局200点満点で96点だった。ちなみに落とした古文と漢文、きちんとマークできていれば140点いっていた。後の祭りだが、漢文はヤマカンもあたって35点程度獲得できていた。
最後の日本史はヤマカンが10問中何問当たっているのかが非常に気になった。10問中の1問目、不正解。しかし、2択で残った選択肢のもう片方だったので、気落ちせず次に臨む。2問目正解、3問目も正解・・・。不思議な気持ちでどんどんマルをつけていく。結局残りは全問正解。98点だった。
翌日予備校に行って予備校のアンサーシートに記入する。国公立大学の予想ラインが公表された。前期受験予定の筑波大は注意ラインより2つ下のランクだった。とても巻き返せるラインではない。後期受験予定の埼玉大は丁度ボーダーだった。受ければ受かったと思う。
結局、浪人した年は国公立を受験しなかった。理由の1つは筑波が届かなかったから。もう1つは上智大が受かっていたからだった。親も本当国公立に行ってほしかったと思うが、上智と埼玉なら上智でも良いと思ってくれたみたいだった。
本当に国語の失敗は痛かった。あのミスがなければと後悔することはないが、自分の未来は変わっていたのだろうなと思う。受験をして痛感したことは、私は思い込みが激しいこと。これは理科大受験のときにも現れて、私に大きな試練を与えてくれた。
(センター試験の結果(点数)は記録として保存してあるので正確です。)
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