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人間を磨く 人間関係が好転する「こころの技法」 (光文社新書)
- 作者: 田坂 広志
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2016/05/19
- メディア: 新書
「共感」とは相手の姿が自分の姿のように思えること。
「相手を好きになる」ためには「相手に共感する」ことが最良の道である。
しかし、世の中でこの「共感」という言葉が、「賛同」という言葉と混同して使われることがある。
例えば「僕はA君の意見に共感しますね」、「私は、Bさんの考えに共感します」といった使い方である。
しかし、ただ相手の意見や考えに「賛同」するということと、相手に「共感」するということは、全く違うことである。また、相手の意見や考えに「賛同」することが、その相手を「好きになる」ことを意味するわけでもない。
また、世の中では、この「共感」という言葉が、「同情」という言葉と混同して使われることもある。しかし、この「同情」という言葉には、どこか、相手と自分の間に、「心理的な距離」がある。そして、ひそやかな「上から目線」が忍び込む。一方「共感」という言葉にはそれがない。何故か?
「共感」とは、相手の姿が、自分の姿のように思えることだからである。
例えば、いま、部下の指導で苦労をしている二人の主任、A主任とB主任がいる。二人とも、それぞれ、若手社員のC君とD君を、夜遅くまで懇切に指導している。しかし、あまり物覚えのよくないC君とD君の指導に、かなりの時間とエネルギーを取られている。少し疲れた表情の二人に、「どうして、そんなに頑張って部下を指導しているのか」と聞いてみると、A主任からは、次の言葉が返ってくる。
「いや、C君を見ていると、何か可哀そうに思うんだよ・・・。誰かが指導をしてやらないと、このままじゃ、使い物にならないからな・・・」
これに対してB主任にも同じ問いを投げ掛けてみる。すると、この言葉が返ってくる。
「たしかに、D君は、少し物覚えが悪いので、指導に苦労するな・・。
でも彼を見ていると、自分の若手社員の時代を思い出すんだな。
自分も、あまり物覚えが良い若手じゃなかったなって・・・
それを粘り強く指導してくれた先輩や上司がいたんだよ。
だから、自分も、頑張らないとな・・・」
このA主任の巣が、たしかに、夜遅くまでの部下指導には頭が下がるが、
どこか部下のC君に対する「同情」という心境で動いている。
一方のB主任、部下のD君に対する「共感」で動いている。D君の姿が、若き日の自分の姿のように思えるという「共感」がこのB主任を動かしている。
この「賛同」と「同情」と「共感」、いずれも、我々が抱く「良き感情」ではあるが、「共感」という感情は、「相手の姿が自分の姿のように思えること」であるため、「賛同」や「同情」という感情に比べて、相手との心の関係を、より深いものにしていく。
それゆえ、我々が、人生において、「好きになれない人」や「嫌いな人」とめぐり合ったとき、相手に対して、この意味における「共感」を抱くことができれば、その人を少しでも「好きになる」ことができるだろう。
例えば、ある人が示す人間としての「未熟さ」を見て、嫌悪の感情を抱くとき、一度、その感情から離れ、「その人もまた、自分の未熟さを抱えて苦しんでいる」ことを理解し、「自分もまた、人間としての未熟さを抱えて苦しんできた」ことを思い起こすことができれば、その人に対する否定的な感情は、少しでも薄れていくだろう。
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