食で身体に栄養を!
読書で心に栄養を!
与えよう!
今月はこの本から!
この本だと柔道選手もたくさん載っているので嬉しいですね。
ということで今回の5回は柔道選手で!
そこがゴールだと思うと、
最後まで走り切れずに
手前で歩みを遅くしてしまう。
松本薫 (女子柔道57キロ級 銅)
リオ五輪4日目の8日、女子57キロ級で2012年ロンドン五輪の金メダリストである松本薫選手が、準決勝で敗れたものの、3位決定戦で連珍羚選手(台湾)に優勢勝ちを果たし、銅メダルをものにしました。連覇こそなりませんでしたが、現地に駆けつけた家族や、地元金沢 市から声援を送った関係者らは2大会連続のメダルを喜び、4年間の労苦をねぎらいました。
柔道で日本女子4人目となる連覇に挑んだ松本選手でしたが、一瞬の油断に足をすくわれ しまいま した。悲願の2連覇を逸して、代わりに手にした銅メダル。表彰式を終えた松本選手 は、首から下げた銅メダルを見て「悔しさと一応メダルを取れた安心感がある。甘酸っぱい感じ」 と胸中を表現しました。
ドルジスレン スミヤ選手(モンゴル)との準決勝に落とし穴がありました。相手が最初に 仕掛けた背負い投げを難なくかわせた、そこに隙が生まれていました。無警戒に近づいた次の 瞬間、重心が高くなっていたことに気づかず,再びの背負い投げに腰が浮きました。開始24秒 での一本負けでした。4年前にはなかった連覇の重圧 それが野性の勘を鈍らせたのかも れ ません。食うか食われるかの状況で、あってはならない「一瞬の気の緩み」。気づけば畳に転がされてしまいました。1度しか負けていない相性のいい相手だったし、どこか隙を自分でつくってしまった。試合中に、大丈夫なんてことは絶対にないのに,大丈夫と思ってしまった」と松本選手。昨年の 世界選手権銅メダルの相手を甘く見たことは、重すぎるツケとなってしまいました。
ロンドン五輪では、柔道で日本勢唯1の金メダル。それから四年間、道着に五輪王者だけが 許される金色のゼッケンを背負いました。「みんなが求める自分にならなきゃ」。いつしか、知 らぬ間に自身で自らを追い詰めてしまっていました。その後,無理を強いてきた古傷の右ひじ を手術、ブランクは1年に及びました。
また,各国からマークされ、代表の谷本歩実コーチ に『みんなに研究されている」と涙ながらにこぼしたこともありました。復帰後の2014年世界選 手権は、2回戦でマルティ·マロイ選手(アメリカ)の関節技に開始24秒で6参ったをして”f初 めて怖いと感じた」とうつむきました。2015年世界 選手権を制して復活を果たしたものの, 常に好不調の波の中にあったのも事実です。 2013年に女子代表で暴力的指導問題が起こったことで、代表の環境が激変しました。指導者が一新され、自立と自律 をテーマに、選手に委ねられる部分が圧倒的に増えました。
そのような状況の中で、いくつもの選択肢を用意し選手に選ばせるとき、「松本薫はそれを1 発で選んでくる」と、「選択力も選手の力」と言う代表の谷本コーチは彼女をそう評していま す。野獣と異名を取る金メダリストの嗅覚は抜群で、追い込む練習が必要と思えば追い込む。 休むときは休む。しっかりと自分で判断できる能力があったと言います。
「ロンドン五輪のときは(前監督の)園田(隆二)先生に引っ張ってもらってついて けだった。それで獲れた金メダル。今回は自分で考えて獲る金メダル」とリオ五輪の意義を語っ ていた松本選手。誰かに尻を叩かれたわけではない。自分の力で走り続けてきた4年間を振り 返る言葉に実感がこもっていました。
日本女子で48キロ級の谷(旧姓·田村)亮子氏、63キロ級の谷本歩実氏, 70キロ級のみ雅 恵氏に次ぐ4人目の2連覇とはなりませんでした。松本選手はすでに28歳。しかし,リオを集大成とは決して言わず、「そこがゴールだと思うと、最後まで走りきれずに手前で歩みを遅く してしまう」と無心で突き進んできました。今後の進路は、ゆっくり探していくとのことです。
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