メダリストの言葉。6

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今月はこの本から!

リオデジャネイロ・オリンピック 勇気を与えてくれるメダリストの言葉

リオデジャネイロ・オリンピック 勇気を与えてくれるメダリストの言葉

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ゴマブックス
  • 発売日: 2016/10/10
  • メディア: 単行本
 この本だと野球・サッカー以外もたくさん載っているので嬉しいですね。
ということで今回の5回はレスリングの選手で!

 

人生で今のところ、一番の親孝行です。

 

登坂絵莉(レスリング女子フリースタイル48キロ級・金)

 

 

 リオ五輪が13日目を迎えた8月17日、レスリング女子の登坂絵莉選手が、ロンドン五輪銀メ ダリストのマリア·スタドニク選手(アゼルバイジャン)を破って五輪初出場で優勝。金メダ ルを獲得しました。 22歳の登坂選手は、2013年から世界選手権3連覇中。金メダル候補の一番手でした。

 

 決勝戦の相手であるスタドニク選手は、北京五輪で銅,ロンドン五輪では銀メダルを取っている世界ランキング1位の強敵。昨年の世界選手権は登坂選手が決勝で破っており、リオでその再 現が期待されていました。 第1ピリオドでは、登坂選手は足を取られて押し出され、0-1で折り返すと、第2ピリオ ドも先にポイントを取られて0-2と劣勢に立たされました。その後、1ポイントを奪い返し, 1-2としたものの、時間はどんどん終了に迫っていっていました。

 逃げ切ろうとする相手に対して絶体絶命の大ピンチを迎えた登坂選手でしたが、残り13秒という終了直前、足を取って バックに回り、2ポイントを奪取。直後に終了のブザーが鳴るという劇的な逆転勝ちでした。 「人生で一番の親孝行ができた」 試合後、登坂選手は両親への感謝の言葉を口にしました。地元の富山県高岡市でテレビ中継 を通して見守った恩師、苅部望氏は「ハラハラしたが、きっと勝ってくれると信じていた。両親の苦労が報われてよかった」と登坂選手の勝利を讃えました。

 

 

 接骨院を経営しながら、登坂選手が通ったクラブのコーチを務めている苅部氏。  登坂選手の父である修さんも、実は高校時代に苅部氏の指導を受けた教え子だそうです。  幼少期の登坂選手について苅部氏は「華奢で力が弱かった。まさか五輪選手になるとは」と感慨深く話しました。 かつては練習相手を求め、登坂選手は修さんの車で岐阜や長野、愛知などへ遠征に出掛けま した。

 

 

節約のため夜は車中泊。修さんは狭い運転席で体を丸めて眠りました。鉄棒での懸垂や 綱登りを行い、体育館の一室を借りて修さんと自主練習を重ねました。登坂選手は「行きたい と言えば、必ず遠征してくれた」と当時を振り返り、父に感謝しています。名古屋 にある名門 至学館へ進学したとき、周囲との実力差にやめようと思ったこともありましたが修さんから 送られてきた「お父さんはお前が一番になることを願っている」とのメールで踏ん張ったと言います。

 

試合後の取材で登坂選手は、「よかったです。やっぱりいろんな人の顔が浮かんで感謝です。 一番は応援に来てくれて、ずっと弱いときから信じてくれた家族ですね。もうここしかないと 思って、これで取れなかったら後悔すると思って最後を取りました」と話しました。

 

また、吉田沙保里選手の背中を追い続けてきた登坂選手。「ずっと吉田さんの背中に憧れてきた。かっこいいし、ああなりたい」。至学館大学に入学した頃は雲の上の存在だったが、グッ と距離が縮まったのは世界選手権に出場するようになったときから。オフの日に出かけるのも、 バラエティ番組に出演するときもいつも一緒。吉田選手の妹分として 霊長類最強のDNA を近くで感じてきたことも大きい。

 

8月10日に日本を出発した際、登坂選手は自身のTwitterに吉田選手とのツーショットをアッ ブ0 12年前に撮影した小学生時代の画像も添え、「12年前の写真。。。大きくなりました。ずっ と追いかけてきた人と一緒に行ける幸せー!!」とTweet。22歳の今、初出場の大舞台で 追いかけてきた人と同じ最高に輝くメダルを手にしました。

 

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