無題。11~13

11

「起立・合掌・礼・着席・黙想」

 

千駄木学園は仏教校ということで、授業開始の号令で合掌と黙想が入る。初めて授業をしたときには、号令係が「黙想やめ」というものだと思って、5分以上皆で黙想をしてしまったのは、失敗だった。

 

「はい、黙想をやめて、目を開いてください。」

 

別にここまで丁寧に言う必要はないのだが、なぜか口から出てくる。もうすぐGWになるというのに、まだ緊張しているようだ。本当のことをいうと緊張しているかどうかも分からないほど、毎日が忙しい。

 

3月末に採用が決まったあと、僕の所属学年が高1でしかも担任。学年主任の宮本先生から、色々なレクチャーを受け、それこそ、毎日「飲みにケーション」と称して千駄木駅そばの「ひがしや」で担任としての仕事のレクチャーを受ける。そして、飲みすぎて翌日は遅刻して、長谷先生から1時間以上叱られる。遅刻する僕がいけないのだが、一緒に飲んでいる宮本先生は不思議な事に7時から学校にいる。僕の倍以上ビールを飲んでいるはずなのに。

 

二日酔いで頭が痛いところに、「まずは生徒の名前と顔を覚えないとだめだよね。」と宮本学年主任はトランプの神経衰弱のように、名前当てクイズを出してくる。そして、長谷先生はまだ春休み中だというのに指導教案を書くように命じてくる。書き終えるまで一緒に職員室に残ってくれるのがまたプレッシャーだ。しかも、職員室の座席と宮本学年主任と長谷数学科主任に挟まれている。指導教案が書き終わったら、そのまま宮本主任が僕を連れ出していく。

 

「さぁ、今日は因数分解だね。では、スクリーンを見てください。」

 

そう、今は黒板ではない。IT機器の利用をしないといけない。千駄木学園の生徒は全員iPadを所持している。いや、千駄木学園だけでなく他の学校も同様だそうだ。4年間高校から離れているだけで、この変わりように驚くばかりである。数学の場合は数式が打てるソフトがないので、毎回使わなくていいようなのだが、長谷主任は「時代の変化に対応できないような教師は教師ではない。たんなる先に生まれた人だ。」という。まぁ、そう言いながらも色々な資料をくれるので、本当に助かっている。

 

とにもかくにも、毎日が忙しすぎるために、緊張して「どもる」余裕さえない。これはこれでラッキーだった。まぁ、その代わりと言ってはなんだが、僕の視線は生徒ではなく天井に向かっている・・・。

 

 

12

「・・・」

沈黙が流れる。もう30分くらいたったような気がするが時計を見るとまだ5分しか

経っていない。他の先生方から「覚悟しておくんだぞ。」と言われていたが、まさか、こんな静寂が訪れるとは・・・

 

今日は年度始めの「クラス懇親会」、またの名を、「保護者役員決め」の日。今年は高校1年の担任ということで、学校の様子や方針を知りたくて30名の保護者が参加しているが、学年が上がるにつれて参加者は減るそうだ。過去最少出席者は3人だったとか。。。千駄木学園は役員を各クラス6名選出しなければいけないのに。

 

先生によっては、終了後、各家庭にお願いの電話をするそうだ。それでもダメな場合は最終的にくじ引きらしい。ところで、そのクジって誰が引くんだ?

 

時計を見ると、あれから1分しか経っていない。保護者はみんな下を向いている。僕も下を向いている。最初は「渥美さんいかがですか?」「五十嵐さん、お兄さんも卒業生なんですよね?学校のことよく知っていらっしゃっていますよね?」

 

返ってくる言葉は「仕事が忙しくて、なかなか参加できないんですよ」とか「既に下の子の役員を引き受けてしまっていて申し訳ありません」とか、ここに日本社会の縮図があることを実感する。「YESといえない日本」、「譲り合いの精神を大切に」。僕に子供ができたら、率先して役員を引き受けようと決心するには十分な沈黙の時間が流れた。

 

「ガラガラ!」

 

扉を開く音がしたので、振り向くとそこには長谷先生の姿があった。

 

「保護者の皆様、本日は忙しいところ、お疲れ様です。大田先生、宮本主任が呼んでいるので、ちょっと職員室まで行ってもらっていいかな?」

 

おぉ!ラッキー!この沈黙から逃げたかったんだよ。

 

「あ、あり、いえ、分かりました。保護者の皆様、少し席を外させていただきます。」と軽く一礼をして教室から抜け出した。

 

教室から出た瞬間に汗がドバッと噴出した。いやぁ、我慢の限界だよね。

 

職員室に戻ると宮本先生が心配そうに

「1人くらい決まった?」

と尋ねてきたので

 

「いえ、1人も・・・。僕が悪いんですかね?」

と自己嫌悪に陥りながら返事をした。

 

「いや、これは教員の問題じゃないから大丈夫だよ。他の先生だって苦労していることだよ。ところで、これ渡しておくね。」

 

と袋を渡された。

 

「この中に1から40までの番号が入っている札があるから、これで大田先生が札を引いてその出席番号の札を引いた方にやってもらうことにすればいいよ」

 

あぁ、くじ引きか・・・。くじ引きはいいんだけど、僕が引くのか。宮本先生が引いてくれないかな?恨まれたくないんだよな~。

 

「さぁさぁ、保護者の皆様が待っているんだから、早く戻りなさい。保護者だけの時間が長いと、あとでクレームがくるよ。」

 

「えっ、長谷先生が繋いでくれているのは、宮本先生の助け舟ではないんですか?」

 

「あっ、そうなの?たぶん責任を感じて教室に入ったんだね。」

 

「えっ、何の責任ですか?」

 

「まぁ、それは今度教えてあげるけど、それなら、もう少ししてから、教室に戻ろうか。きっと長谷先生が決めてくれるよ」

 

えっ、そんな簡単に決められるの?あの先生。あんなにしかめっ面しているのに?

「ちょっと見学に行ってきていいですか?」

 

そんな話をしているところに、長谷先生が

 

「大田先生、とりあえず、8人決めおいたから。まだ公費助成が決まっていないけど、まぁ、新人だから許してもらえるんじゃないかな。」

としかめっ面で現れた。

 

いや嘘、神々しいオーラをまとっていた。これから毎日仏前で手を合わせようかな?家に仏壇ないけど。

 

教室に戻ると、保護者が談笑していた。

「大田先生、今回は貸しですからね。あの先生に感謝しておいたほうがいいですよ。」

と渥美さんと島崎さんがクラス代表を務める事になったと報告してくれた。

 

「どうやって決めたんですか?」

 

「それは少しの間、秘密にしておきます。あの先生と約束したので。それが大田先生への宿題だそうです。」

 

 

えっ、土下座でもしたのかな?それとも落語でもしたの?

 

 

 

 

13

 

最近、教員はブラックと言われている。その最たるは部活動だろう。幸いにも千駄木学園はクラブ活動が活発ではない。特に運動部はグラウンドが狭いため、場所の取り合いで必死である。進学校だと高校3年生になると同時に引退とか、練習日は週3回までとか規定はあるそうだが、千駄木学園は自由だ。顧問の裁量によって決まる。

 

僕が顧問になったのは柔道部。きっと体型で選ばれたんだろう。中学・高校と授業で習っていたし、授業の試合でも優勝したからそれなりに自信があったが、やっぱり毎日のように練習している部員は強い。軽い子でもなんなく100キロオーバーの僕を投げてしまう。

 

もう1人の顧問は藤田先生という英語科の先生だが、補習などで忙しいらしく、ほとんと練習に顔を出さない。藤田先生からも「ケガもあるから学校内にいて、何かあったときはすぐに対応できるように準備しておいてね」と言われたが、それならなおのこと、柔道場にいるべきではないかと思ったので、毎日柔道場にいたのが失敗だった。いや、練習に参加したのが間違いだった。

 

体重はあるけど、素人だから簡単に投げられる。しかも充実感があるのだろう。何度も何度も投げられる。受身はきちんとしているのでケガはないのだが、とにかく疲れる。練習後に職員室に戻ってもとても明日の授業準備をする気になれない。そこでボーっとしていると、宮本先生に捕まって「ひがしや」へと連行される。

 

きっとそのうち倒れるな・・・。身を持ってブラックな職場だということを体験する毎日だ。

 

 

 

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