後悔しない人生

よく生徒や保護者から
「なんでそんなに働けるんですか?」
と質問を受けたときに
「好きでしているだけですよ」とか「ありがとうって言われたり感謝されたりするのが嬉しい自己満足ですよ」
と答えているが、最近「ちょっと違うな」と思うようになった。

いや、もちろん、たまに感謝の言葉をもらえたときはすごく嬉しいが、仮にもらえなくても

「なんだよ、あんなに頑張ったのに、お礼の一言ぐらいいえよ!」

と思うことはない。いや、本当に。苦笑

自分で言っちゃいけないが、

長田のこの頑張り具合はもっと称賛があってもおかしくない!笑。

だけど、称賛がないことに不満もなければ、要求する気もない。

まぁ、毎日が充実しているから、そんな気にならないんだろうね。
正直さぁ、今生きているうえで不安なことって、

結婚できるか?ぐらい?笑


だけど、結婚に関しても自分というよりは両親のことを考えてだから、そこまで不安というわけでもない。

まぁ、なるようにしかならないってね。

うん、もうさぁ、
なるようにしかならない!
という感じ?

難しい言葉を用いると
人事を尽くして天命を待つ
的な?

うん、ベストを尽くしているからさぁ、人から褒められるかどうか、感謝の言葉をもらえるかどうかで不安になることはない。

最近読んだこの本

仕事と心の流儀 (講談社現代新書)

仕事と心の流儀 (講談社現代新書)

  • 作者: 丹羽 宇一郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/01/17
  • メディア: 新書

の1節にこんなのがある。

将棋の羽生善治さんと対談をしたとき、「平常心を保つために心掛けているとことは何ですか?」と質問すると、

「一生懸命にやり尽くすことです。もうこれ以上はやれないというところまでやれば、本番では良い意味で開き直れます」

という答えが返ってきました。

かつて、4回日本一となった京都大学アメリカンフットボール部の当時の監督、水野弥一さんも同じ趣旨のことを仰っていました。

「スポーツ選手が平常心で戦いに臨めるのは、もうこれ以上できないと心の底から思えるほど練習を重ねたときだ。これ以上できないくらい練習したんだから、試合の当日に焦ったり不安になったりすることはない。勝敗を超えた心の強さが支えとなる。」

途中省略

オリンピックや高校野球を観ていても、勝者と敗者を分けるのは、最後は「心の強さと平常心」ではないかと感じます。頂点を目指すような戦いにおいて技術はさほど変わらない。心の持ち方によって勝敗が決するのだと、私は思います。

けれど、この世には心を強くする「薬」などありません。そんなものがあれば、皆とっくに飲んでいる。これを食べれば心が強くなるとか、こういう訓練をすれば強くなるというものはありません。地道に日々、自分なりのベストの努力をするしかないんです。

心というものは、可視化できませんから、どうすれば心を強くできるかという問題は、姿、形では現れず、非常に精神的なものになります。とことんまで心を鍛えた人は「これだけ努力してきたんだから」という自負心が底力となって、精神的に競争相手よりも優位に立てるのだと思います。

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ささいなきっかけ(渥美創太のディナーを予約するの躊躇したこと)から、「後悔しないように」行動する意識を高めてきたんだけど、、なんかそれ以来、他人からの賞賛とかがあんまり気にならなくなった。たぶん、ベストを尽くしているからなんだろうね。

ベストを尽くせば結果は自ずとついてくる!


という言葉があるが、最近は自分なりの解釈は変わってきた。

ベストを尽くせば結果がどうあれ、

後悔はしない。

たぶんね。こんなに頑張れる理由の1つに


後悔したくないから!

が加わった。

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