体罰・虐待を考える

悪意で読み取らないこと切に願います。

 

考える日本史(河出新書)

考える日本史(河出新書)

  • 作者: 本郷和人
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2018/11/21
  • メディア: 新書

この本にこんな1節がある。

日本の軍隊は、敵に向けて銃を撃つことができた。「軍隊なんだから当たり前だろ」と思われるかもしれませんが、実はこれが当たり前ではないのです。これは有名な統計なのですが、アメリカの南北戦争のとき、50%、兵士の半分は、敵が攻めてきても鉄砲を撃つことができなかったそうです。上官からは撃てと命令されていますから、拒否は出来ない。しかし、敵の上方に向けて撃つことで、実質的に拒否してしまうのです。

 

 南北戦争の場合、「北軍と南軍が戦った内戦だから」という事情もありますが、もともと生きている人間に向けて銃を撃つことは、ふつうの市民にはなかなかできないことなのです。それだけ罪深いことだという意識が個人個人にある。

 

 こうした軍隊は、ある意味で弱い。「玉砕しろ」という命令が出たとしても、絶対に玉砕はしない。むしろ、それを命令した上官は逆に殺されてしまうかもしれない。

 

 ところが日本の軍隊は、敵に向かって撃った。そう教育されてきたためです。旧軍では、「撃てと言われたら、なにも考えずに撃つ」という一体感を作り出すために、軍曹や曹長を中心にして、徹底的に新兵を苛めた。その一方で「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」などの大義名分を掲げ、共有をはかった。その結果玉砕ができる軍隊が生まれてしまう。それは強いわけです。

 

体罰や虐待は自分の分身(兵隊)をつくるために行うものなんだね。言い換えると、その対象の感情を奪うことなんだね。ってことは、機械?

 

体罰をすることで、強力な意志をもったチームが構成できるんだということも学んだ。指導者が体罰を辞められない理由はこれなんだね。

 

そして、そういう世界で長年生きてきてしまった人は創造性が失われるから、大人になってからなかかな伸びないんだろうな~。

 

改めて言いますが、とくに深い意味があるわけではなく、この本を読んで感じたことを述べました。誤解をしないで、「あぁ、そういう捉えかたもあるのか。」ぐらいにしてください。いじめや虐待を肯定しているわけではありませんので。

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