脳内のメモリー容量を増やす。

将棋の棋士は脳内で将棋盤を思い浮かべることができるらしい。

 

そこまではいかないが、長田も数式の式変形を脳内に書くことはできる。

 

たとえば

17×17-16×14

(赤字は脳内です。)

17の2乗は289だろ、

15の2乗が225だから

16×14は224だ。

ということは289-224は65だ。

答えは65!と暗算で解ける。

 

上の問題を暗算で解けない人には、

これを凄いと思ってくれるだろうが、

数学の先生であり、小学生の頃そろばんをやっていたので

まぁ、普通だと思っておいてほしい。

 

だって、皆だって自分の得意分野ならこれぐらいできるよ。

サッカー選手なら次のプレーをイメージすることを脳内で瞬間で行うだろうし、

演奏者なら脳内でメロディを奏でながら、イメトレするでしょ?

 

記憶力がある人って、なんでも記憶できると思う。

それは記憶力があるのではなく、いつも記憶することを

習慣にしていて、記憶のコツを掴んでいるから。

 

脳内のメモリーの増やし方ってさぁ、

日頃からそれをどれだけこなしてきたか、

だと思うんだ。

 

大人の場合は、なかなか厳しいけど、

子供はこれから、それを大人が意識づけていくかだと思うんだ。

 

なんで、日頃から本を読んでいる人が国語ができるか?

これって当たり前でしょ?って思う人いるかもしれないけど、

そんな簡単なことじゃないんだよ。

 

だって、日頃から本を読んでいる人って

おそらく多くの人が小説を読んでいるのであって、

なんで小説を読んでいる人が評論文を解けるの?

 

まぁ、小説でも読めば語彙力が高まるっていうのはあるんだけど、

普段から本を読んでいる人は、

文章を記憶するメモリーの容量が大きいからだと推測する。

 

国語が苦手な人って1文1文をしっかり読むんだけど、

言い方変えると、文全体の内容が頭に入っていないと思うんだ。

その場その場の言葉を捉えてしまうから、

筆者の主張もよく分からないし、

誘導問題にも「あっ、この言葉さっきあった」と

引っかかるのだろう。

 

長文読んでいて、途中でやめちゃう人って

飽きるというよりはメモリーがいっぱいになって

それ以上脳内に詰め込んでも入らないから

言い方変えるとこんがらがっちゃうからなんだなって思った。

 

 

 

 

 

コメントは停止中ですが、トラックバックとピンバックは受け付けています。