トラウマ

(学年通信に掲載したコラムです)

高2で文系理系に分かれたとき、多くのクラスメイトに「なんでお前が理系クラスにいるんだ。絶対に文系だと思っていたよ」と言われた。その当時、社会が一番の得意科目だったので、皆がそう思う気持ちは理解できる。その当時、理科が赤点ギリギリでなんとか進級したので、皆が「こいつ留年するんじゃないか?」と心配した気持ちもよく理解できる。

 

中3のときの模試で数学の偏差値が73、理科の偏差値が37というダブルスコアをたたき出したこともある。高校受験では、埼玉県西部地区No.1の進学校である川越高校を第1志望にしていたのだが、この理科の成績では当然ながら合格できないので、親が家庭教師を雇った。おかげで理科の偏差値は65ぐらいまであがった。

 

ただ、こうやって、成績が上がって思ったことは、その家庭教師の教え方がとても素晴ら しかったとかではなく、ただ単に勉強していなかっただけ、ということだった。あのときは家庭教師に、膨大な量の宿題を出されて必死に暗記していたなって思う。

 

高校に入って化学のmolで苦手意識を作った。本当に赤点ギリギリでなんとか進級した。数学の先生になるために、理系を決断したが「受験科目に化学は絶対に利用しない」と誓った。だからといって物理が出来るというわけではない。物理も高2の1学期の中間テストでクラス最下位に輝いた。週に2回小沢先生のところに通い、なんとか人並みになった。

 

教員になって、生徒(柔道部員)に色々な教科を教える機会があり、ようやく理科が楽しいものとなっていた。「molってダースの感覚でいいんだとか!」、「科学の計算なんてほとんど比で解けるじゃないか。」など、改めて教科書を読んでみると、暗記することは結構あるが、「あぁ、こういうことか」と理解できることが増えた。

今、教員になって過去を顧みたときに思うのが苦手科目というのはただ単にやっていないだけではないだろうか、と考えるようになった。

 

一所懸命に過去を遡って出てきたのが、小学3,4年生のときの理科のテスト。それは、「太陽がこの位置にあるときにできる影の部分を塗りなさい」という太陽と影に関する問題で、なぜか、最後の余った時間のお遊びだと勘違いして、全部の方向に影を塗ってしまったということがあった。先生にも親にも「ふざけるな」と怒られた。たしかに、誰がどう見てもふざけているようにしか見えないわけだが、いや、実際にお遊びだと認識したのでふざけていたわけだが、この怒られた経験が理科を苦手科目へと昇華させたのだろう。

 

中学時代「理科なんて学んで将来何の役に立つんだ」としょっちゅう言っていた記憶がある。この発言は本当に将来役に立つかどうかではなく、ただ苦手科目に対する言い訳なんだなって思うようになった。

 

やはり、苦手科目は勉強しようという方向を向くことがほとんどないので勉強時間は少ない。勉強時間が少ないからこそ、良い成績が取れないのだ。得意科目というのは好きなので放っておいても楽修する。楽修時間が多いから自然と成績も上がる。

だからこそ、苦手科目は1人でやらずに誰かに教わることが大事だと思う。教え方が上手い人に教われば「えっ、これだけでいいの?」とか「なるほど。そういう意味だったのか」と感じることが増える。

しかし、実際にそうやって苦手科目を周囲の人に聞くことは少ない。私も中学時代に親が家庭教師を雇うかという話になったときに「自分で頑張る」と言ったが偏差値は5くらいしか上がらなかった。苦手な科目を苦手な人が頑張ったって正しい努力の仕方を知らないのだから、一所懸命頑張ったってたかがしれている。

苦手科目を質問すると、「できないことをバカにされるのではないか」と恥ずかしがる人もいる。とても理解できる心情だが、そのままで成績が上がることは決してない。やはりやる気は勇気であって、勇気を出して質問することが成績向上に繋がると確信している。

苦手科目が苦手な原因。子供の頃に何かしらのトラウマがあって、心がそっちの方向に向いていない。だから勉強時間も少なくて、なかなか成績向上しない。本当なら質問するなりすればいいのだが、恥ずかしくてできない。必ずしもこれだけとは限らないが、大体これに要約できる。ということで、苦手科目を克服するのに必要なのは勇気であり仲間だ。

 

 

苦手科目って、子供の頃に叱られた経験とか、ひどい目にあったことが原因だったりする。食わず嫌いもそんな感じ。だからそれを立ち直らせる機会をきちんと作ることが大事だなって思う。

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