かけがえのない

かけがえのない人になる

最近は若年者の凶悪犯罪、中高年の自殺など生死に関わる事件が頻繁に起き、現代人は生死の価値を下げているように感じる。何故人々は生死を軽んじるのだろうか。

それはアメリカ文明による経済成長教に起因するかもしれない。戦後の日本は敗戦からすぐに立ち直り大きな経済成長を遂げた。何故かというと経済を立て直すことが国を豊かにし、人々を幸せにすると考えたからだろう。つまり、人々は幸せを数値化したのだ。幸せになるためにはお金が必要だ。お金を沢山得るためには一流企業に入らなければいけない。一流企業に入るには偏差値の高い高校、大学に入学しなければならない。幸せを図る基準がお金や偏差値という数字で表されるようになってしまったのだ。

そのため、企業は成果至上主義に陥った。また教育機関も本来の意義を忘れ、企業で働ける人材を育てるために、学生を同じことができるような画一した人材の育成に励むことになった。そして生徒も他人と違う目で見られることを嫌い、透明化してしまったのである。

しかしながら、バブルの崩壊やオウム事件を始めとする高学歴者の犯罪など数値信仰に裏切られ、人々は何を頼って幸せを目指すべきか、その指針を失った。さらに、人は本来ひとりひとり異なるかけがえのない人間であるにも関わらず、数値化によって交換可能な存在になり、存在意義を見出せなくなって生きる意味を失ったのだ。

現代は昔と比べて豊かである。それは科学技術が発展したからであり、昔は電気や石油もなく自然の猛威に怯えながら日々生きてきた。数値信仰もなく人々は純粋に幸せを追い求めていた。昔の人々は何を頼りに生きていたのだろうか。

それは仏教を始めとする宗教である。現代では葬式仏教と揶揄されているが、昔は寺社が地域に根差していて、庶民を幸せへと導いた。仏教の教えによって心を磨いて内面を成長させてきたのである。今こそ仏教は本来の意義を取り戻し、人々を幸せに導くべきである。決して掛け換えることができない人間へと成長させていくのだ。

現代社会は数値化社会であるが、数値に依存することは危険である。そして生死を数値化させることは明らかに間違っている。もっと感情を持って心を豊かにすることこそが現代人に必要不可欠なことである。

掛け替えのない人になる

上のコラムは下の本を要約したものである。

生きる意味 (岩波新書)

生きる意味 (岩波新書)

  • 作者: 上田 紀行
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2005/01/20
  • メディア: 新書

2006年の大学入試に一番出題された本でもあるので、興味ある人は是非読んで欲しい。

生徒から「なんで勉強しないといけないんですか?」とよく聞かれるが、その答えの1つに「掛け替えのない人になる」というのがある。

先に述べておくが、職業に貴賤はない。どの職業も周囲の人々を幸せにする大切な仕事である。だが実際に得られる給与・賃金はさまざまである。その原因の一番は需要と供給の関係だろう。お金が集まるところに近い職業は必然的に高い給与になるだろう。そして、他の人と交換可能かどうかというのも大きく関わっていると考える。アルバイトは誰にでもできる仕事だから給与が低い。近年においてはAIが人の仕事を奪おうとしている。これからはAIにも負けない交換不可能な仕事を探してはいかなければならないし、そういう人になる必要が求められる。そのために教育が存在する。

 

小学校・中学校は義務教育で社会に出ていくために必要な一般基礎を学ぶが、高校・大学は自分が掛け替えのない人になるために、自分のストロングポイントを手に入れる場所だと考える。そして社会に出た時にそのストロングポイントを発揮して周囲の人々を幸せにして、その対価としてお金を得るのではないだろうか。

 

「今すぐ社会に出て多くの人に貢献できる力を自分は持っているのか?」と自分の心に問いかけてほしい。もしもまだ持っていないと思うなら、必死に勉強してそれを手に入れてほしい。

 

君たちは今、点数や偏差値など数値化される社会で生きている。社会に出てからも給与という数値で幸せを測っていくかもしれないが、それだけに固執してほしくない。それでは本当の幸せにはたどり着けない。戦後はアメリカ文明の影響で幸せは数値化されていたが、時代が変われば幸せの形も変わる。今の幸せは数値で測れないところにある。

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