2002年8月8日、その日はとても暑かった。この日私は自分が企画した職業・大学体験のため、3名の生徒を連れて電気通信大学の研究室を訪問し、1日中作業ロボットや電子機器の研究室を見学した。
その後、帰宅すると珍しく留守番電話が点滅していた。学校からの電話で至急連絡がほしいとのこと。大学訪問中は携帯電話を切っていたからで、きっと誰かが金髪で登校したとか、クラブの関係で保護者や生徒から確認の電話でもあったのだろう。そんな気持ちで軽く学校に電話した。
大石先生が学校にいて、「智巳が交通事故で亡くなったらしい。」と教えてくれた。最初、大石先生は冗談言っているのだろうと思った。しかし、最後まで「嘘だよ」という言葉は聴けなかった。
直ぐに智巳の家に電話を入れようと思ったが、信じられなかったし、何を話せばよいかわからず電話するのをためらった。そして20時頃、心を落ち着かせて電話をして父親からの話で事実であることをようやく受け入れた。
翌日、朝早く智巳の家に向かった。クラスメイトも既に多数来ていた。そして智巳と対面した。駒込の制服を着て眠っているだけのような笑顔の彼女がそこにいた。しかし、交通事故の影響で下半身が残っておらず、スカートから下は花や布で敷き詰められていた。
その場にいるのが非常に辛く、すぐに庭に出てしまった。
そして、通夜が営まれ告別式が行われた。このあたりのことは生徒の服装指導をしたことと、生徒の手前泣かないように与えられた仕事を務めようとしたことしか覚えていない。
彼女の父親は気丈だった。一番辛いはずであるのに、来てくれた方々に丁寧に挨拶回りをしていた。もちろん無理をしてほとんど寝ていなかったが、人前で涙を見せずに周囲の制止を振り切って色々な方と話をしていた。
しかし、告別式の挨拶で、途中までそれこそ平静を保とうと努めていたのだが、最後の言葉で
「辛いし、淋しいし、悔しいです」
と泣き出した。私もその言葉を聴いて我慢していたものが目から堰を切ってあふれ出した。下のミッキーマウスの時計には、このときの想いが詰められている。
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