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長田が思うことをつらつらと

学校ってなんだ! 日本の教育はなぜ息苦しいのか (講談社現代新書)

学校ってなんだ! 日本の教育はなぜ息苦しいのか (講談社現代新書)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2021/08/18
  • メディア: Kindle版


下校時の「買い食い」

 多くの中学校では、下校時の「買い食い」は禁止です。夏、どんなに暑くてノドが渇いても、コンビニどころか、自動販売機で飲み物を買うのは校則違反です。

 けれど、一度、家に帰った後の外出では、自動販売機もコンビニも問題になりません。真面目だった僕は、このことが全く理解できませんでした。だって、下校するときの姿と、塾に行くために一度家に帰った後、すぐに鞄を持って家を出た姿は、どう見分けるのか、見分けられるのかと混乱したのです。

そもそも「買い食い」はなぜ悪いのかと先生に聞きました。「中学生らしくない」という言葉を何人かの先生は言いました。少し論理的な先生だと「買い食いのためには、学校に現金を持ってこないといけない。そうすると、盗難の問題が起こる。だから、禁止している」と答えました。

一瞬、納得しそうになったのですが、中学生だった僕は「お金を持ってきたら、必ず盗まれる前提なんだ。学校側は僕たちを泥棒と同じと思っているんだ」と思いました。そして、高校生の従兄弟が購買部でパンを買うためにお金を高校に持って行っていることを知って、「高校生になったら、現金を盗まない前提なんだ。どうして中学生は盗んで、高校生は盗まないと考えるんだろうか。中学生は幼いころから罪の意識が薄くて窃盗をして、高校生は成長したから罪の意識があって成長しないんだろうか」と考えました。そして、「そんなバカな」と結論しました。

「窃盗が罪なことぐらい小学生でも知っている。巧妙に盗もうと思ったら、中学生より高校生のほうがうまくやれるんじゃないか。中学生だけ禁止にするのは、論理的におかしい」

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買い食いが禁止なのではなくて、学校にお金を持ってくることが禁止なのでしょうね。少なくとも学校内で生活するにあたってお金は不要ですから。学校って学校生活に不要なものを持ってこないように指導していますよね。それはお菓子やスマホも同じ話で。学校は学ぶ場であり、余計なものを持ってこなくても大丈夫にしているから、勉強に専念しましょう的なところがありますよね。クラブ活動でも坊主であったクラブは多かったと思います。学生におしゃれは不要という考え方なんでしょうね。「学生の本分は勉強である」、私もよく用いる言葉ですが、これが専念という意味を含んでいるんじゃないかなって思います。

 

あと、修学旅行などのお土産代も学校によっていろいろ定めていると思います。これは個人的に廃止してもいいのかなって思います。もう現金を持ち歩く時代でもないでしょうから。海外修学旅行になると、カードで支払う生徒が多いですしそちらのほうが賢いなって思います。

 

どこかで改めて書きますが、学校って平等公平をうたっているから、形式上貧富の差をないようにするために、皆を同じ条件にすることって多いなぁって、そのために変な規則ができるんだなぁって思います。まぁ、規則を作っている側の意見も理解できるので、一概に校則を改正するべきだとは思っていないんですけどね。

 

これって子育てでも同じで、どこまでおもちゃなどを買い与えるか悩む家庭も多いと思うんですよ。そのときにに「みんなが持っている」というところを判断基準にするところがあると思うんですけど、それと同じようにみな平等にというところで作られている規則って多いと感じます。

 

 

 

 

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