世間話がなくなる

 

学校ってなんだ! 日本の教育はなぜ息苦しいのか (講談社現代新書)

学校ってなんだ! 日本の教育はなぜ息苦しいのか (講談社現代新書)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2021/08/18
  • メディア: Kindle版

この本に「世間」と「社会」の違いに対するコラムがあるのですが、

学校という「世間」

僕がずっと言っている「世間」という考え方だと、学校はまだまだ「世間」が強く残っている組織です。

講談社現代新書の拙著『「空気」と「世間」』と、佐藤直樹さんとの共著『同調圧力』にも書きましたが、僕は日本を「世間」と「社会」に分けます。

「世間」は現在および未来、あなたと関係する人たちの集団です。

「社会」は現在および未来、あなたと何の関係もない人たちの集団です。

「世間」はゆるやかに解体する方向に向かっているのですが、学校は未だに根強く「世間」が残っています。

ちなみに、「世間」が強く残るのは、お役所や銀行、古い大企業です。

つまりは「社会」の速度に合わせて、柔軟に変化、対応しなくても、とりあえず続けられる組織です。もちろん、大企業の吸収、合併、倒産はなどは、「世間」であり続ける限界が来たということです。

世間に生きるということは、突出しちゃダメなわけです。目立たない、突出しない、はみ出さないことこそが、「世間」を生きる知恵なので、自分の頭で考えられないし、考える必要がなくなる。「自己肯定感」を強く持ってしまうと「世間」から排除されてしまう怖さがあるのです。

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AI社会、グローバル社会って、世間を失くしていっているんだな~と実感しました。井戸端会議的なものはネットのコメントに移行したりしているんだなと。

これからは世間でないと感じたらどんどん自分を出していかないといけないみたいですね。私のFACCBOOKみたいに、自己満足の投稿をどんどんやっちゃうくらいがいいみたいです。笑

 

ただ、学校という「世間」の代表格である場所に勤めている人間として、やっぱり「世間」って大事で、「社会」で疲れたときにホッと一息できる場所でないといけないのかなって思います。

 

このNagata Stationはネットという「社会」の中で、長田と縁ある人々にとって「世間」を提供できる場所でありたいなと思います。

 

 

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