今月の5の日はこの本のコラムを掲載します。
過去に掲載したことありますけど、
何度読んでもいい話です。
- 出版社/メーカー: 三笠書房
- 発売日: 2012/09/20
- メディア: 文庫
本田宗一郎の生きざま
(1)乗る人のために
「目的」と「目標」について、どうしても伝えておきたい話があります。本田宗一郎さんについてです。世界のHONDA、本田技研工業株式会社を一代で創った人です。
本田宗一郎さんの目的は……簡単に言うと、車とかバイクとを、使う人のために作っているんです。
ここが大事なんです。「乗る人のために」。そんなの当たり前だと思うじゃないですか。でもこれがなかなかできないんです。利益を上げようとするあまり、大切なことを忘れてしまう会社もあるんです。
宗一郎さんの目的はなんだったのか、本田技研のホームページに載っていた話を紹介します。
オヤジさん(本田宗一郎さんのこと)の方針は、「製品に対しては、あくまでも親切なものをつくれ」であり、それは最初の製品から実施されていた。
「お客さんに迷惑をかけるようなものを作るな」
この言葉はここに勤めたときから、オヤジさんから嫌というほど聞かされました。
「ものをつくるときには、それと一番長いことつきあわなきゃならない人のことを考えろ。一番長い人はお客さんだろ。その次は売った店の修理工だろ。その次がうちの工場の人間で、つくった本人のくせに一番短いのは設計者。ずっと使う人の身になって考えたら、不親切なものなぞ設計できねえはずだ!」とオヤジさんはいつも言っていました。
私が本田技研に入って一番最初にエンジンを分解したときのこと。びっくりしちゃいましたよ。いろんなところに、いわゆる新設設計がしてあるんです。それに気づいたのは分解したときでした。
“あれ、このエンジン、ナット外しても、どこからも部品が落っこちないぞ。おかしいな。”
たとえば、クランクシャフトなどのいわゆる回転体を締めるねじが、もし緩んでも、すぐにはトラブルを起こさない構造にしてある。ねじが完全に脱落しないか、脱落しても、すぐには壊れないような工夫がしてある。運転手が、何かおかしいぞと気づくくらいまでは、もつようになっているんです。安全性への気遣いですね。あの頃は、ネジの精度が悪い時代で、ナットなんて、いくら締めても緩むものと相場が決まっていた。だから、こんな工夫をしたんでしょうね。
出典:本田技研工業株式会社ホームページ「本田社史50年」
これは60年以上前のエンジンです。当時のエンジンなんて、エンジンかけてかかれば十分というような時代です。その時代に「もし、ネジが取れてもすぐには壊れない」という工夫がしてあるということはすごいと私は思います。そこまで、最初から使う人のために作っていたんです。
(2)会社の利益よりも日本の成長
1953年、宗一郎さんは、最新鋭の工作機械を海外からいくつか輸入します。当時のお金で4億5千万円、という大金だったそうです。その頃の大卒の初任給が1万円前後ですから、どれだけ高価なものだったかわかりやすよね。だから輸入するときに「会社がつぶれてもいいのか?」と聞かれたそうですが、それに対して宗一郎さんは、なんて言ったと思いますか?
「会社はつぶれるかもしれないが、機械そのものは日本に残る。
それは必ず日本の産業界に役立つはずだ」
これ、すごいですよね。
自分の会社がたとえダメになったとしても、日本のためになればそれでいいんだと。だから、巨額の投資もするんだと。なかなか言えないですよ。こんな言葉。会社の利益よりも、日本の成長を考えているんですから。
ところが、ある日、社員が輸入した機械の中で一番高い機械を壊してしまったんです。もうその写真は真っ青。宗一郎さんのところに行って、「あの機械を壊してしまいました……。」と言ったそうです。ところが宗一郎さんは、
「ケガはなかったか?」
と言ったんですね。社員は最初、意味が分からなくて、「いや、だから、あの機械を壊してしまったんですよ」と繰り返したところ、宗一郎さんは、
「仕方がないじゃないか。機械は直せばいい。
でも、人は手や足を切り落としてしまったら、元には戻らない。
人に怪我がなかったのが一番だ」
それを聞いて社員は涙したそうです。宗一郎さんって、本当に素晴らしい人ですよね。高価な機械よりも社員の体のことを心配しているんですよ。それだけ、人を大切にしていたってことですよね。社員はきっと、「この人の元で働けて、本当に良かった。この人に一生ついていこう」と思ったことでしょうね。
宗一郎さんって軸がぶれないんですよ。本当に人を大切にして、人のため、日本のためにバイクや車を作っているんですよ。だからこそ、みんなが宗一郎さんを慕ってついていったんでしょうね。
(3)ありがとうの握手で流した涙
1991年に本田宗一郎さんは亡くなっています。生前、宗一郎さんは、こんなことを言っていたそうです。
「素晴らしい人生を送ることができたのも、お客様、お取引先のみなさん、社会のみなさん、そして従業員のみなさんのおかげである。俺が死んだら、世界中の新聞に、“ありがとうございました”という感謝の気持ちを掲載してほしい。」
実は、宗一郎さんは結構早く、社長を引退しているんです。66歳で引退し、いわゆる「会長職」にも就いていません。「終身名誉顧問」にはなったのですが、仕事からは一気に離れたそうです。
で、社長を辞めたあと、何をしたかというとですね、日本中にあるホンダの事業所……販売店から工場から……当時700か所あったそうですが、その700か所をすべて回って、すべての従業員ひとりひとりと握手して、
「ありがとう、ありがとう、いつもありがとう!」
と言い続けたそうです。
しかも、2,3人しか働いていないようなものすごく田舎の販売店も全部回ったそうです。その後、海外の事業所も全部回ったそうです。全部回ってひとりひとりと握手して……。何年もかかったそうです。
周りの人たちは、「ホンダの創業者が直々に握手しに行けば、社員のモチベーションは上がりますよね、仕事をもっと頑張ってくれて、業績も上がりそうですよね。だから、握手しに行くんですね」って言っていたそうです。
でも、実はそうじゃないんです。宗一郎さんはそんなこと、どうでもよくて、自分がお礼を言いたいから回っているだけだったんですって。
ある日、田舎の販売店を回った時に、車の整備をしていた人が、「宗一郎さんが来た!」って聞いて、喜んで走ってきたんですって。握手してもらいに。
で、握手をしてもらおうと思って自分の手を差し出した瞬間に「アッ!」って言って、パッと自分の手を引っ込めたんですって。なぜかというと、手が油まみれだったんですね。仕事中に急いで走ってきたから。
「今、洗ってきます!」って手を洗いに行こうとしたら、宗一郎さんはその社員の背中に向かって、
「その油まみれの手がいいんだ!」
って言って、その整備士を引き止めて握手したそうですよ。両手で。
そして、嬉しそうにその手を眺めて、目を細めて、手の油をかぐんですって、そんなの見たら感動しますよね。泣きますよね。
宗一郎さん、こんなことも言ってたそうです。
「握手をするとみんな泣くんだ。そして、その涙を見て、自分も泣くんだ。」
凄いですよ。この人、本気ですよ。この「ありがとう」は。
本当に心からみんなに感謝しているんですよ。
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