文武一道β

<スポーツ>

強いチームというのは練習量がやはり凄い。場合によっては寮に入って朝、放課後、夜と練習をしている。もちろんその練習は辛いだろう。しかし、その辛さを我慢できるのは、できないことができるようになったという技術向上もあるだろうし、試合結果で優勝という喜びを得るためもあるだろう。一緒に頑張っている仲間がいるから耐えられるということもある。

 

 

練習量も大事だがその質も大事だと思う。良い指導者は選手が次に何をすればよいか、その道筋を示してくれるものだ。「私の言ったことをきちんとやれば大丈夫だ」という指導者もいるだろう。選手も信じられる何かを持つことができれば頑張れるものだ。

 

 

それは外見にも表れる。柔道の場合、強い学校は坊主なので、相手が長髪なだけで勝てそうな気がしてくる。服装だけでなく、強い学校は礼儀もしっかりしている。別に外見を怖くして勝てるとは思わないが、そういうファッションに目もくれず、スポーツに専念している姿勢がオーラを放っているのだろう。

 

これを楽修に置き変えるとどうなるだろうか?

 

 

<楽修>

成績の良い生徒というのは楽修量がやはり凄い。場合によっては塾・予備校に通い、朝、放課後、夜と楽修している。もちろんその楽修は辛いだろう。しかし、その辛さを我慢できるのは、わからないことがわかるようになったときの学力向上もあるだろうし、定期試験で一番や受験で合格という喜びを得るためもあるだろう。一緒に頑張っている仲間がいるから耐えられるということもある。

 

 

楽修量も大事だがその質も大事だと思う。良い指導者は生徒が次に何をすればよいか、その道筋を示してくれるものだ。「私の言ったことをきちんとやれば大丈夫だ」という指導者もいるだろう。生徒も信じられる何かを持つことができれば頑張れるものだ。

 

 

それは外見にも表れる。頭のいい生徒は髪形にも清潔感があり、金髪を見るとなんか遊んでそうだなと勝手なイメージが連想される。服装だけでなく、成績の良い生徒は礼儀もしっかりしていると思う。別に外見を良くしたから成績が向上するとは思わないが、そういうファッションに目もくれず、楽修に専念している姿勢がオーラを放っているのだろう。

 

 

 

いかがだろうか? 自分で書いていても納得できるものが多いと感じた。

 

楽修の仕方が分からない場合は他のものに例えてみると良いだろう。そして、学業が優秀な生徒を見て「あの人は凄い。才能が違う。」と思わないようにしてほしい。その人はあなたの知らないところで頑張っているだけで、誰でも頑張れば同じようになれるのだから。

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