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絶対大丈夫 高津臣吾の人を育てる言葉

絶対大丈夫 高津臣吾の人を育てる言葉

  • 作者: 飯尾 哲司
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2022/05/25
  • メディア: 単行本

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(二軍監督時代の2018年)村上は4番で固定だった。ファームから4番が打席に立つシチュエーションを叩き込む。ファームは4番としての「帝王学」を学ぶ場所なのだ。

 

過去、ヤクルトの優勝には必ず「左の助っ人大砲」の存在があった。1978年球団創設29年目の初優勝時は、広岡達朗監督のもと5番・マニエルが打率.312、39本塁打103打点。

 

野村監督時代は1992年にハウエルが首位打者と本塁打王でMVP、1993年にはサヨナラ弾を5本放った。1995年はオマリーが打率.302、31本塁打87打点。ペナントレース、日本シリーズともMVPを獲得。1997年はホージーが本塁打王で優勝に貢献した。

 

若松監督時代の2001年にはペタジーニが本塁打王と打点王でMVP。真中満監督が優勝した2015年は山田哲人が本塁打王に輝いたが、シーズン60本塁打の日本記録保持者、右打者のバレンティンは故障でわずか1本塁打。山田はトリプルスリー3度が物語るように、四番打者タイプではない。長距離砲の育成は球団の至上命令だった。

 

2018年、高津二軍監督が4番に固定した村上は、一軍で初打席本塁打デビューを飾ったものの、19年はリーグ最多の184三振、規定打席到達打者最低の打率.231に終わった。

 

しかし、高津が一軍監督に就任した2020年は4番打者で全試合出場してリーグ5位の打率.307、よく21年は全143試合出場、39発、本塁打王でMVPに輝いた。史上最年少の通算100本塁打を達成した試合では、対戦相手の4番鈴木誠也(広島)が守備位置から拍手を送った。この村上が中軸となり、チーム総得点が12球団で唯一600点を突破した。

 

 

 

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