- 作者: 鴻上尚史
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2022/09/21
- メディア: Kindle版
今月はこの本のコラムを掲載して、
そのあとに自分の意見を少しだけ……。
「世間体」の正体
あまりにも息苦しいのなら、この国を出ることを勧めたりします。
語学で苦しむことを前提に、寂しさにのたうち回ることが分かっていても、それでもこの国の息苦しさに耐えられないなら、とっとと海外に出たらと言います。
そsれは、海外で生活する日本人の多くが、この国を脱出して、「淋しいけれど、出て良かった」と語るからです。僕は海外に出るたび、そういう日本人にたくさん会いました。
動機は、ほぼ、みんな同じです。
「日本という国が息苦しいから」
これだけです。
脱出の方法の見つけ方は、さまざまです。ただもう、この国が嫌で単純に飛び出た人もいれば、なにげない観光旅行で海外を回っているうちにあまりにも楽で自由になっている自分に気づいて衝撃を受け、とっと飛び出した人もいます。
うっとうしいと感じるかどうかは、言ってしまえば、個人差です。
オランダで会った女子大生は、日本の短大時代、短大生になっても、食事やトイレでグループ行動を要求する周りと、それを断固拒否できない自分に、ほとほと疲れ切ったと言いました。
シカゴで働いている女性は、建前だけが男女機会均等のふりをして、本音ではあっけらかんと差別されていて、それが当然だとみんな思っている会社が本当に苦手だったと語りました。
みんな、この国の“システム”に対して疲れ切っていたり、苦手だったり、嫌いだったりします。
決して、戦ったり、抗議したり、声を上げて日本を脱出したのではありません。
息苦しいと感じるかどうかは、本当に個人差です。
「そんなに嫌なら、この国を出て行けよ。こんなに安全で清潔な国はないんだから」と言われれば「はい、そうです」と答えるしかないのです。
けれど、感じる人間は感じるのです。
僕にとって、それは、例えば、テレビショッピングの女性が語る「今日は、~を紹介させていただきます」という「過剰なへりくだり」です。ジューサー・ミキサーを紹介させていただいて、搾ったジュースを飲ませていただいて、電話番号をご案内させていただく、という言い方がいつの間にか、定着しています。
満面の笑顔の女性が、「今回に限り、送料無料とさせていただきます」と、いただき続ける口調は、どう考えても異常なのです。
日常では、「ここで、休憩を取ります」とは言えなくなってきています。ほとんどの場合は、「ここで、休憩を取らせていただきます」です。
「いただく」と言わないと、「誰の許可取って、休憩にするんだよ? 俺は許可していないぞ。休憩を取るって言うなよ。取らせていただきます、ってちゃんとへりくだれよ」と突っ込まれるとは誰も思っていません。
思っていませんが、絶対の自信はありません。どこからか、突っ込まれるかもしれないという、根拠のない恐怖だけはあります。
テレビショッピングなんていう、どこからも突っ込まれたくない番組では、だから、満面の笑顔のまま、根拠のない恐怖から逃げ続けようとするのです。
“根拠のない恐怖”を、日本では“世間体”と言います。
普通の日本人は、この“根拠のない恐怖”となんとか付き合っています。けれど、真剣に向き合えば、息苦しくなるのは、当たり前だと僕は思っています。
「世間の皆様にご迷惑をおかけしました。」
と、イラクで人質になり、無事解放されて帰ってきた3人は言いました。あなたは、具体的に、どんな迷惑をこうむりましたか?
僕はこうむっていません。何の迷惑も、この3人から受けていません。何億という税金が使われたというなら、3人の前に、有明海の諫早湾干拓をはじめとして、ムダな公共事業の名前をひとつひとつ挙げて、関係者にちゃんと謝ってほしいと思います。
3人の家族が、もし、初めから、“世間体”という“根拠のない恐怖”を知っていたとします。
「バカ息子、バカ娘は死んでも構いません。恥ずかしいです。どうか村八分にしてください。」
一番最初に、そうコメントしていたら、「自己責任」だの「自己負担」だのと政府は言いださなかったし、国民も同調して盛り上がらなかったと、僕は断言します。
一般の国民には、紛争地でのボランティア活動もNGOも、なんのリアリティーもありません。戦地では、外務省筋より、NGOの方が、はるかに人脈と情報を得るようになっている昨今の現状を知りません。
イメージできるのは、海や山での遭難までです。好きで行ったんだから、自己責任だろう、自己負担だろうという論理しかありません。
それでも、山での消防庁の救援活動も、海での海上保安庁の救援活動も、無料です(有料化の動きは一部にはありますが)。それは国民に対する仕事だからです。そして、僕たちはタックス・ぺイヤーだからです
けれど、遭難からの記者会見では、「世間の皆様にご迷惑をおかけしました」と語ることが常識・義務になっています。
「関係者各位にご迷惑をおかけしました」とだけ言っては、許されない状況になっています。
それでもマスコミは世間の皆さんがどれだけ心配したと思っているんですかと、必ず追及します。
その映像を見るたびに僕は「みんな本気なんだろうか?」と思います。
ずっと冗談だと思っていました。けれど、気が付けば、マスコミの人は、本気で国民に心配をかけたとか、世間の人を嫌な気持ちにさせたとか思っているようです。
「自己責任」も「自己負担」も論理的な結論ではありません。
それはただ、“世間様”の逆鱗に触れただけです。
このコラムは2004年に書かれたものなんですけど、今はもっと“世間様”が神様のように猛威を振るっているように感じます。なんだろう。SNSなどによって距離感が縮まったと錯覚しているんでしょうかね。まぁ、この距離の縮まりを窮屈に感じるのはよく分かります。だから、私はこういうブログなどにコメント欄を作らないし、Facebookでコメントがあってもあんまり返しません。「親しき仲にも礼儀あり」で他人ごとには頼まれない限り首を突っ込まないようにします。
もうちょっとみんな、他人に無関心でいいんじゃないかな?
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