心とは何か?

昔流行った小説「走れ!T校バスケット部」の主人公の父親の台詞に、「心技体って言葉を知っているか。心が何で一番上にきているのか、よく考えてみろ。心があってこその技や体だ。心のない者が何をやろうが、そんなものは大した意味はない。なぜなら心が通っていないからだ。」というのがある。

 

私も心は大事だと思うが、実際のところ、心とは何だろうか。心が通う、心が強い・弱いとはどのようなものなのだろうか。

 

私はこの本を読むまで、心とは我慢だと考えていた。我慢ができれば心が強く、我慢ができなければ心が弱いという様に捉えていた。これはクラブ活動の影響が強い。要する に、辛い練習に耐えることができれば心が強いという考え方である。しかし、それだけでは説明つかないことが多い。

 

例えば受験を控えている3年生の中には、学校の勉強なんて教科書を教えているだけで受験には役が立たない。だから、学校の授業を軽視して内職をしたり、学校を休んだりして、家庭や塾予備校を中心に勉強している生徒が少なからずいる。

 

このような生徒は少なくとも遊びを我慢して受験勉強している。よって受験でも結果を出しているような気もするだろう。しかし、実際にはそれほど結果を出しておらず、浪人生になっている場合が多い。それよりも学校の授業を大切にしている生徒のほうがより良い結果を出している。少なくとも私の学校においてはそのような結果が続いている。

 

また、先にあげたバスケットボール小説においては、主人公がイジメられていたところから復活するまでの物語であるが、イジメは我慢するものではない。そして、それを超越して、決してしてはいけない行為である。心を我慢と同一視するには無理があった

 

そこで「心」を辞書で調べてみた。心は心臓という身体の部位から出てきた漢字だが、昔は「うら」とも読まれていて、目に見えない何かを指している。また、漢字の部首として「りっしんべん」や「したごころ」は心を表している。心のついた漢字を探してみると「憎」、「惨」、「悪」、「悲」、「愛」、「恥」などがあった。どちらかというと負のイメージを持った言葉に多く、「嬉」や「笑」のイメージで心がつく漢字が少ない。

 

どうも人は本来が善であり、心の弱さから負の感情を持つようになったのではないか。それを表現するために漢字が作られたのでないか。このように考えていくと“心”とは“感情”を指すのではないかと推測できる。そういえば道徳教育を情操教育とも言うが、情操をそのまま読めば、感情を操るになる。心=感情と解釈すれば辻褄が合ってくる。

 

先にあげた学校の勉強を疎かにして受験に励んだ生徒は1つ大きな勘違いをしている。学校で学習した内容は大学受験に出題される。出題方法が捻られているだけで答えは教科書の中にあり、授業を不要と考えるのは早計である。おそらくそのような生徒は学校が不要という負の感情を持ってしまい、心に余計な負担を与えてバランスを崩し、それが生活にも悪循環を招き、大きな成功を収めることができないのではないのだろうか。

 

イジメにおいても同様で自分の感情を最優先して行動するから大問題に発展していくのではないのだろうか。もしくは自分の感情を持っていないから、あれだけひどいことができるのではないのだろうか。

 

このように考えていくと心を強くする方法も明快になる。まずは喜怒哀楽などの感情を持つこと、つまり、「心を広くする」ことが大事だろう。そのためには生活で様々な経験することが重要で、コミュニケーションを図ることが肝要である。両親との会話に始まり、友人との協力や読書も有効な手段である。その過程においては当然失敗も含まれる。近頃は保護者・子どもともに失敗や挫折を嫌い安全なレール上を進む傾向にあるが、大人になって初めて挫折を味わってしまうと、対処の仕方を知らないので立ち直れなくなる。人はもっと子どものときに失敗を経験するべきだ。

 

もちろん大人が失敗を見越してそれに対応する準備が不可欠である。成功経験も同様である。

 

そして様々な取り組みで感情を覚えたら次はその感情に流されないように行動しなければいけない。面倒だからやらない、好きなことだけする、このような感情に流されて行動することは決して心が強いとはいえない。面倒だけど必要だからする、好きなことだけど今は我慢して行わない、といった行動が本当の心の強さではないだろうか。感情に流されたままでは試合でも切り替えられずにそのまま負けてしまう。楽修でもクラブ活動でも感情に流されず、現在必要だと思うことを精一杯行うことが大事なのではなかろうか。

 

“人間万事塞翁が馬”、どれが本当に良いことかは時間が経たないとわからない。だからこそ人は色々な他人と協力し、喧嘩しながら多種多様な感情を学習するべきである。そして一時の感情に流されず、自分にとってのベストを尽くそうという意識。それこそが私たちが持つべき心ではないかと考える。

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