前月と今月はこちらの本のコラムでも。
生き苦しさから解放されるのは難しいでしょうが、
原因を知ることで少しでも緩和できれば。
「空気」を読んでも従わない 生き苦しさからラクになる (岩波ジュニア新書)
- 作者: 鴻上 尚史
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2020/03/12
- メディア: Kindle版
「世間」のルール5
ミステリアス
「世間」の5つのルールの最後は、「世間」はミステリアスということです。
つまり、神秘的であり、不思議であり、理屈を超えているのです。例えば、クラブ活動で「うちはいつもそうしている」とか「昔からそうやっている」「なぜか、わからないけど、そういうものだ」ということはないでしょうか?
それは、「世間」が持つミステリーです。
その「世間」にしか通用しない方法があるのです。
よくよく考えると、全然合理的でないとか、効率が悪いとか、二度手間になっている、なんてことです。それでも昔からそうしているから、みんな続けているのです。
無意味な校則の多くは、これです。なぜ、こういう規則なのか、ストッキングの色や靴下の色、ひどい場合は下着の色まで高速で決めることが、どうして非行防止に役立つのか、どういうふうに生徒のためになるか。合理的に説明できる人はいないと思います。ただ昔からそうしているから、そうしているだけです。
「世間」は理屈が通じない、と言ってもいいと思います。
いい意味では、例えば「昔、仲間といつも行っていたお店がある。そこには、昔の思い出がたくさんある。だから、今、もっと安くて素敵なお店ができたけど、やっぱり、そのお店にみんなで行ってしまう」なんて場合です。あとから、そのグループに入った人は、「どうして、もっと安くて美味しいお店があるのに、ここに行くんだろう」と思ってしまうのです。古いしきたりやお祭りの手順、儀式なんかには、ミステリアスなことが多いです。
「世間」のまとまりを作るために、いつのまにかそうなってしまった、なんてこともあります。または、「世間」が協力にまとまっている結果、そうなってしまった場合もあります。あなたは、小学1年生はどうして、みんなランドセルを背負うのだろうと疑問に思ったことはないですか?
日本中の小学1年生はランドセルを買います。なかには、「ランドセルはイヤだなあ」と思っている小学1年生がいるはずだと、僕は思っています。でも、みんなランドセルを背負います。あなたの周りに、ランドセルを拒否した人はいましたか?
僕が知っているのは、ランドセルを持たないで小学校の6年間を貫きとおした人と、ランドセルを拒否して学校に行って、すぐに校長先生から「和を乱すので、ランドセルにしてほしい」と言われた人です。
「和を乱す」というのは典型的な「世間」の言葉です。
その地域が比較的都会で、「世間」が強くない場合は、ランドセルではなく、手提げバッグやおしゃれなリュックタイプでも許されることがあります。田舎とか町で「世間」が強く残っているところは、ランドセルを選ばないと、いろんなプレッシャーがあるようです。
あなたが、まだ想像できないかもしれませんが、大学4年生になり、就職活動をするとき、日本の若者は、全員が黒のリクルート・スーツという服を着ます。これもまた、日本に「世間」が強く残っている証拠です。黒のリクルート・スーツを着て面接に行かないと受からないと思われているのです。(本当かどうかはまったく分かりません。会社の人たちが「そこまで同じにすることはない」と言ったりします。)
ランドセルも黒のリクルート・スーツも、なぜ日本中の小学1年生が背負わなければいけないのか、なぜ大学4年生が着なければいけないのか、まったく理屈はわかりません。まさにミステリアスです。
でも、だから「世間」なのです。
これは強く同意します。
たぶん、世間って楽なんですよね。何も考えなくていいから。
何かを考えるとおかしいことに気づきますけど、
それを変えるには多大な労力を要します。
うん、世間って楽をするためにあるんだと思います。
それは良くないよね。だけど、エネルギーは消費しなくていいというメリットがある
ということは理解しておいて損はないと思います。
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