魂を磨く

先日この本を読んだ。

日本サッカーはどこまで強くなるか 日本人の体格を武器に変える身体操作 (青春新書インテリジェンス PI 751)

この本には五重塔や龍安寺の石庭の話が出てくる。サッカーの話なのに。イビチャオシムの「日本サッカーの日本化の話だ。これは!」と感動した。

その勢いでこの本も購入した。

人生最高のコンディショニング 仕事も人生も好転する55の習慣

これは人によって合う合わないがあると思うので、そこまでお勧めできないのだが、個人的には共感しかない。特に終わりにの文章。引用すると、

<おわりに 魂を磨き続ける>

「ちゃんと生きてきて、良かった」

 本書を書き終えた今、僕は心からそう感じています。

僕には、日々の生活で心掛けていることがあります。それは「自分との約束を守る」ことです。「これだけは絶対にやる」と自分の中で決めたことは、誰も見ていなくてもその約束を守るのです。

たとえば僕は、「空き時間が出来たら必ず筑波大学蹴球部の練習へ行く」と決めています。

「はじめに」で触れた通り、2023年に筑波大学蹴球部のテクニカルアドバイザーに就任しました。技術指導をするのが主な役割で、久保建英選手とともに取り組んできたトレーニングを、筑波大学の選手たちとも取り組んでいます。

指導するタイミングは、チーム全体練習後の個人練習の時間、いわゆる居残り練習です。希望者に対して、一人ずつ、もしくはグループに分けて順番に指導していきます。ただし、パーソナルな技術指導をするためには、普段の練習でどんなプレーをしているかを確認する必要があるので、全体練習の30分前くらいにグラウンドへ到着するようにしています。

指導する際に一番大切にしていることは、選手が納得したうえでトレーニングに取り組むことです。感覚的な指導にならないよう、論理的に指導に当たっています。上手くいったプレーがあれば、それをきちんと言語化し(させ)、再現性を上げていく。もちろん上達に近道はありません。「遠回りこそが一番の近道」です。日々、丁寧に一つひとつの動作から積み重ねていきます。

自宅から筑波大学まで往復4時間、全体練習と個人練習がトータルで3、4時間。練習を終えたら急いで21時過ぎ発のつくばエクスプレスに飛び乗り、北千住で夕飯を食べる……というのがよくある1日です。

久保選手へのパーソナルコーチで報酬をいただいていないのと同様に、筑波大学での指導についても報酬をいただいてはいません。

あくまで自分が行ける範囲で指導するというスタンスなので、他の仕事があるときは休ませてもらい、個別にメッセージや動画を送ってフィードバックする形にさせてもらっています。

ただ、筑波大学の選手たちの上手くなりたいという情熱はすさまじいものがあります。僕の好きな筑波大学蹴球部の応援団幕のひとつに「暑苦しいくらいでちょうどいい」というものがあるのですが、まさに彼らは「純度100%のひたむきさ」でサッカーに取り組んでいます。彼らの力になりたい、 筑波大学の優勝の助けになりたい。僕は自然と「空き時間ができたら必ず筑波大学蹴球部の練習へ行こう」という気持ちになっていました。

正直「今日は家でゆっくりしようかな」と思うこともあります。しかし、選手たちのことが頭に浮かぶと、「いや、自分との約束を守ろう」と踏み留まり、出発できるよう準備に取り掛かります。もちろん純粋に筑波大学の選手たちからのエネルギーをもらえることが最大の動機です。しかし、あるとき「自分との約束を守る」こと自体に大きなメリットがあることに気づきました。それは「自分との約束を守れば守るほど、自分をどんどん信じられるようになる」ということです。つまり「自ら」を「信じる」と書いて「自信」。まさに字の如く、です。

行かなくてもいい、でも筑波へ行けば彼らの役に立てる。だったら、やっぱり行きたい。おかげで今、自分の人生史上最も充実した日々を過ごせています。「誰かのために生きる。いい人になることで、人は一番力を発揮できる」その言葉の意味を今まさに身に沁みて感じています。

いい人になる、というハードルが高く聞こえるかもしれませんが、特別な努力や頑張りができなくても、周りの人に親切にする「いい人」は誰でもなれます。小さいことでいいんです。ゴミを拾う。道を譲る。ありがとうと言う。スタートは「いい人」を演じるだけ、形から入るだけだって構いません。最初は上っ面だとしても、そうやって生きていればだんだんとそれが当たり前になってきます。「いい人になろう」と意識して生きていると、街でも、職場でも、ピッチでも、自然と「困っている人」を探すようになります。そして、そういった行動を繰り返していると、不思議と人生の歯車がピタッと噛み合ってくるのです。

僕は、「正しく生きる」とは「誰かのために生きる」ことだと思っています。自分のためではなく、自分の行いで誰かの魂に火を灯すこと。自分から進んで誰かを助けると、相手から感謝され、自分自身も心から嬉しくなります。誰かのために生きることで、結果的に自分の魂も磨かれていくのです。

サッカーの試合で見方を助けるために予測して動く。これは、家庭で家族のために、何か言われる前に予測して動くことと本質は全く同じです。

たとえば家族に「掃除して」と言われてから動くのではなく、自分から少しだけ先回りして部屋をきれいにしてみる。誰かのために先回りして動き、相手が助かり、感謝が循環して自分も嬉しい。そうやって、「自分の魂が喜ぶこと」を日々選択し続けることこそが、正しく生きるということです。

長田は正しく生きているんだと肯定してもらえていることが非常に嬉しかったです。やっぱり人のために役立つことが幸せに繋がるんだよ。

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