誤解を招く

A:長田のコラム

長田はあまり会話をしない

本を読んだり、このブログで思っていることを述べたりしている。

 

話さないことは「誤解」のスタート

話をすることは「理解」のスタート

という言葉もあるが、長田は誤解されやすい。

いや、「言い訳をしないので、事実だと解釈されてしまう」のほうが近い気がする。

 

本当のことを言えば誤解されるほど話をしていないので、誤解もされていないはずである。

というか、皆自分なりの考えで一所懸命頑張っているのだから、誤解せずに

「あぁ、この人なりに頑張っているんだな」と解釈すればいいだけの話だと思う。

 

個人的には読書を通じて、「自分には理解できないけど、そういう考え方をするんだな」というのを学んできたので、例えば誰からが自分的にはあり得ない行動をしても悪意ではとらえずに「きっと、こんな考えなんだろうと」善意で、前向きに捉えるようにしているので、誤解をそんなにしていないと思う。いや、間違った解釈をしているときもあるんだろうけど、誤解で相手に敵意を持つようなことはしない。

 

まぁ、人それぞれだよ。

人は皆違うのだから、自分と同じ行動をするわけもないし、同じことに共感することもない。だから上手くいかなくても気にする必要はない。だけど気にしてしまう人は多いし、悪意で取ってしまう人も多い。

なんなんだろうね。人って。自分の思い通りにいかないときに、他人のせいにする人が多いような気がする。もちろん、自分のせいにして落ち込む人も多い。もちろん、長田も他人のせいにしたり、自分のせいにしたりするときもあるけど、たいていの場合は

「仕方ない。人がすることだもの」

くらいで水に流す。

 

どうも人は理由と言う分かりやすいレッテルが欲しいみたいなんだけど、実際そんな分かりやすいものはないし、たいていの事は複雑に絡み合っているし、小さなことの積み重ねで溜まっていたものだよ。

だけど、そのレッテルが欲しいので、もらえたときは安心する。これが誤解なんだろうな。

 

個人的には誤解をした人が悪いと思う。誤解された人が悪いなんてことは絶対にないと思う。だって、誤った解釈しているんだよ。今までいろいろと学んできたんだから。

「誤解されるような発言行動をしてごめんなさい」はないと思う。

「誤解していたよ。ごめんね」が妥当だろう。

 

あぁ、こんなことを書いているけど、特に何かがあったわけではない。つい最近まで『指導者の器』のコラムを書いていたのだが、その時に急に思い浮かんだので書いているだけ。

 

 

 

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