「兆」という部首を用いた漢字には「挑」と「逃」という全く逆の意味の言葉がある。
漢字の成り立ちを調べると・・・
古代、まだ天にいると思われる神様にお祈りをしている時代の話。亀の甲羅の割れ目の形で物事を占っていたらしい。そのときの割れ目の形が象形文字として「兆」となったそうだ。きっと悪い兆しを回避するという事で「逃」なのだろう。「しんにょう」は移動を意味するのでね。
そして、「挑」だが、どうも、その悪い兆しに立ち向かうという意味で「挑」という説(嘘です。長田が勝手に作っただけ)と(こっちが本当で)亀の堅い甲羅を手で割ろうということで、困難なことにチャレンジすることから「挑」いう説があり、どちらにしても(まぁ1つしかないのだが・・・)困難なことに立ち向かうことで「挑」である。
人生は決断の連続で、なにかのイベント、悩み事があったときに、それをキッカケに挑むか、逃げるか決断して今がある。
当然ながら挑むということは失敗も当然あり、失敗すれば挫折することもあるだろう。その点逃げるを選択すれば失敗することもないので傷つくこともないだろう。その代わりに成長することもないだろう。
挑戦することは勇気だ。勇気を持ってチャレンジすれば成功はしないかもしれないが成長はする。だから、勇気を持って決断をしたい。
兆しとは自身が成長できる機会が到来したということだ。
