コストパフォーマンス

地球上で義務教育が行われた時期というのは産業革命の始まりである。今までは手工芸が中心だったが、蒸気機関によって工業に変わろうとしている時期でもある。日本においても明治維新ののちに富国強兵の一環で学制を設け、殖産興業に力を注いだ時期である。このときに求められたのが単純作業の労働ができる人材であったため、学校でも皆が同じことをできるようにと軍隊式になっていたとどこかの本で読んだことがある。

確かにそういう側面もあると思うが、個人的にはさらに身分制度の撤廃があると思う。それまでは家業を継ぐのが当たり前であり、身分によって就ける職業が決まっていた。しかし、職業選択の自由によって誰もが自分の進みたい道に辿り着けるように義務教育で全ての基礎を学び、高等教育で専門的な分野を深く学んでいく。

個人的にはコストパフォーマンスに優れた制度だと感じている。

ただ、今はかつての労働者の仕事は機械やAIが替わって行うようになり、これからは人々はクリエイティブな仕事をしていかなければならなくなった。学校でもアクティブラーニングなる手法で生徒に考える力を身に着けさせるようなスタイルへと変わりつつある。

そこまでは理解しているのだが、だったら、もう、皆を教室に詰め込んでいく教育を止めたほうがいいんじゃないのか?

まず、1つには狭い空間に大人数を詰め込むと精神が落ち着かない。つねに周囲の視線が気になる。正直、子供のときはなんとも感じなかったが、今職場(職員室)がその状況だったら間違いなく発狂する。クリエイティブな外資系企業だと遊戯施設も取り入れたりして、リラックスできる環境を取り入れていると聞く。いや、間違いなくコスパが悪くなると思うが、そういう時代に移っていると思うよ。今は日本人でもインターナショナル学校に子どもを入れる時代だからね。学費はかなり高いらしいけど。

次に多様性と言われる時代に、皆に同じ内容を教えるのってどうなんだ? 小学校や中学校の義務教育は職業選択自由の関連もあって、全ての基礎を学ぶ必要があると思うけど、高校はもっと専門的な内容を個別に学ばせる環境があっていいんじゃないか。まぁ、そうすると長田とか一部の教員は教えることがなくなるんだけどね……。そして、個別対応になるケースが増えるから学費はさらにかかるんだけどね。

さらに、ブラック校則を代表するように「皆同じがいい」時代でもないし、軍隊教育の延長として根差しているブラック部活動なども継続している。学校の教員をしているが、もう時代にそぐわないって感じる。

それでも学校が今の形で残っているのはやはり、コスパがいいからなんだろうな。

今は不登校の生徒が増えたがその受け皿も増えた。ネット授業で自分のペースで学ぶことも可能になった。個人的には「それで成績が上がるか?」と思っているが、たぶんその考え方が古いのだろう。成績だけで人を判断する教育がね。

ただね。以前「ゆうか」という卒業生が「なんで、日本とアメリカの教育スタイルは全く異なるのに、どちらでも優秀な大学を出ている人は社会に出ても優秀なんだ?」と言っていたのだが、たぶん適応能力が高いんだろうね。

学校って社会に出る前に疑似体験をする場だと思う。全く知らないもの同士で協力していくこと。嫌いなもの同士でも妥協点を見つけてお互いに特性を活かして1つの目標に向かって突き進むこと。これらは主に部活動や文化祭などで見出すことができるけど、クラスや学年でも磨くことができる能力だと思う。

だから、多様性だとか、個性を伸ばすとか今はそういう教育を推進しているように感じるけど(気のせいだといいんだけど)、それで社会に出て活躍することができるのかな? と思うこともある。まぁ、最近はYouTuberとか、少数で不特定多数を相手にする仕事もあるから大丈夫なのかな?

 

モーツアルトやエジソンなどADHDの特性を持っていた人たちもどちらかというと、集団で仕事をせずに、物を相手に仕事をしていたんだよね。

まぁ、特に結論はないんだけど、昨日の本を読んでこんなことが頭に浮かんだのでつらつらと書いてみた。分かっているのはこれといった正解がない、いやどれも正解なので、あとはどの道に進むかを決断することなんだろうね。

なかなかに難しい決断だよね。

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