「先生、なんで勉強しないといけないんですか?」と生徒から聞かれるケースは結構ある。長田はできるかぎり、その質問の意図を見抜いたうえで返答するようにしている。だから10パターン位は答え方を持っている。まぁ、かなり似ていますけど……。苦笑。
今日もその答え方をこのブログに掲載していきます。
これは、学校を辞めようと思っている生徒が相手のときに使うかな? いや、あんまり使わないかな? 一般論かもしれないですね。
学校の仕組みになるけど、なんでこんな教科を勉強するのかといえば国が必要だと思っているから。国としても国民に税金を納めてほしいというのもあるし、国民が幸せに生活するために最低限必要なことを学ばせているっていうのもある。
例えば最近の数学だとデータや統計、N進法が高校の授業に入って来た。先生が学生のときは大学で学んでいた内容だ。なんで高校の教科書に入って来たかというと、AIやビッグデータなど、今の社会では誰もが使いこなせることが不可欠だからだ。たぶんどんな職業についてもきちんと理解しておくことで便利になるよ。他の教科でも先生の頃は英語にリスニングはなかった。やっぱりグローバル社会になって読み書きだけでなく聞いたり話せる必要がでてきたんだろうね。今はアクティブラーニングとか授業が一方通行にならないようにしてきているけど、これも一方通行、言い方変えれば作業はコンピュータが行うから、それ以外の能力を身につけましょうってことだと思うよ。
日本だと明治時代から学校ができたわけだけど、それもやっぱり「富国強兵・殖産興業」を推し進めるためで、基本労働ができる人材育成をベースにした教育が行われていた。言い換えると「みんなが同じ行動を取れる」ように規律が厳しかったとなる。昔は工場で働ける労働者や戦争で勝つための軍人を育てるところがあったし、今の学校生活にもその名残は残っていると感じるよ。ただ、国もその時代に合わせて、ニーズに合わせて教育体制を変えているからね。今は昔(明治時代から昭和時代)と比べて許容範囲が広がったと感じるね。アクティブラーニングとか生徒の主体性を重んじるようになったよね。それって、単純労働はAIや機械が行ってくれるからであって、もっとコミュニケーション力やデザインする力が求められる時代になったね。
ただ、それでもその学校教育に合わない人もいるよね。例えば集団行動が苦手という人、今の時代は不登校の生徒にも通信制の学校が充実してきていて、そういうところに行くのもありだと思うけど、昔は難しかったね。やっぱりレールから外れた時に戻れるか不安だからね。そう、実は教育って国が立派な社会人になれるようにと、最大公約数的に生み出した機関なんだよ。だから、そのレールに乗っているといろんなことを考えなくてもいいっていうメリットがあるんだ。他の人と一緒だから安心というよりも、自分で考えなくていいから安心といったほうが正しいかな。ただ、その分尖っている人には生活しにくい、というデメリットもあるんだけどね。
だから、自分にしたいことがあって、その夢を実現するために学校が不要だと思うなら、学校を辞めてもいいと思うんだ。例えば相撲取りになるなら、高校や大学にいくよりいも中学卒業時に相撲部屋に入門する。これもありだと思うんだ。例えば料理人になりたいから中学卒業後に料理の専門学校に行ったり、お店で働き始める。これも悪くない。自分のしたい道が明確になったら無理して高校や大学に通う必要はないね。
ただ、そこには責任が付きまとうことを忘れずに。高校生くらいになると「自分が大人になった」と勘違いするけど、成人でないから、まだ一人でお金も借りれないし、だれか保証人が必要になる。そういう意味でまだレールから外れるのは厳しいと思うからまだまだ学校に通っていた方がいいと思うよ。
学校は社会の縮図、というか社会を疑似体験する場だと先生は思っている。だから、集団行動が苦手だから、人間関係が厳しいから、というので学校を辞めるのもありだけど、それは次のステージでも同じことが起こりうることだということは承知しておいてほしい。もちろん自分の適性を理解して、そういう社会で働かない、というのも大事なこと。ただ、学校の先生としていうけど、違うステージに移ってリセットするのはいいことだと思うけど、今回の失敗をきちんと次に活かせるようにしないといけないからね。そうやって社会に出る前に疑似体験を繰り返しながら、自分に向いている働き方を考えていくなら学校に通う意味はあったと思うよ。
まぁ、学校は国が敷いてくれたレールであって、その電車に乗れば楽に目的地に着くけど、つかない場合は歩いていくことも大事だし、自転車やクルマで目的地まで行くのもありだよ、って感じかな。
