この本、教師は読んだ方がいいと思います。
- 作者: 平 光雄
- 出版社/メーカー: さくら社
- 発売日: 2014/01/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
人を見て法を説け
職人教師「どうした?浮かない顔をして」
ヒロシ「ボクが何を言ってもレイコさんがちょっと反抗的な感じで……」
職人教師「話が入らないってわけか」
ヒロシ「はい……。マモルくんたちと同じように話しているんですけど……」
職人教師「そりゃ、レイコとマモルじゃ性分(タチ)が違うもんな。同じようにはいかないさ」
ヒロシ「はぁ。『タチ』ですか?」
職人教師「レイコは大人向きの恋愛ドラマとかミステリー好きな、ちょっとませた子。マモルは、スポーツ大好きな明朗快活。求めているものも大違いだろ?」
お釈迦様の言葉「人を見て法を説け」は、対人関係の真理を着いた箴言だろう。ただ、人の「何を」見て、なのかは具体的に述べられていないし、あまり深く考えられることもない。
誰かに話をするとき、相手の何を見たらいいのか。主に次の2つである。
相手の「性分」
相手の「状況」
これらを無視して一様に人を動かす原則などない。相手の性分に合わせなければ説得はできないし、どの性分の人にも一様に適応できる説得法はない。
このことをしっかり心に刻むべきだ。
多くの「話し方」「指導法」の技術や模範例の書かれた本を読んで真似してみたところで、なかなかうまくいかないのは、こうしたことへの配慮が欠けているからだ。活動的な人、おとなしい人、勝ち気な人、弱気な人、目立ちたい人、目立ちたくない人、傲慢な人、謙虚な人……人には色々な性分がある。
これらは天与のもので、こどものときの性分が大人になってすっかり変わるなどということはないと言っていいだろう。ときに全く変わってしまったと周りから言われるような人もいるが、たいていは後の経験の中でカムフラージュされただけのことだ。
私はたくさんの人と接してきて、特に「内向型」か「外向型」かという性分の違いを重視してきた。自分のエネルギーが、重荷自分の内側に向くか、外側に向くかという違いである。これは単なる方向性だけとは言い難い大きな違いで、ある面、老・若・男・女の違いよりも大きいとさえ言える。
簡潔に言えば、内向型は「真・善・美」といった抽象的な価値を追求する傾向が強く、その追究のためななら孤独もあまり苦にならない。対して外向型は積極的で具体的な活動を好み、現実的な活動を好み、現実的な業績や実利を重んじる傾向にある。
また内向型は、プライドや美意識が高く先行不安も強いため、失敗を恐れる傾向が強い。それに比べれ外向型は、試行錯誤をものともせず、叱られたってなんのその、気にせずゴーゴー!といったところがある。
かくして求めるものや失敗へのハードルの高さが異なる以上、たとえば励ますにしても一様の接し方では効果が出ないのは明白だ。
外向型の子を励ます場合。
彼らはエネルギーが外向きであり、他人との競争も好む。負けてもさほど暗く尾を引くということは少ない。ハデに悔しがったり、悲しんだりはもちろんするが、立ち直りも早い子が多い。だから、「思いっきりいけ」「ライバルに勝て」というような言い方も通じやすい。失敗の後のアドバイスでも「失敗は成功のもと。これを糧に次を頑張ればいい」などといった言葉を、真っ当前向きにとらえやすい。
しかし、内向型は内向きなエネルギーが強いので、他者との競争をあまり好まないことが多い。そもそも競争に否定的な子も多い。だから外向型と同じような励まし方では心に通じにくい。その競争の意義や自分自身との戦いである克己心などに訴えた方が良い場合が多い。失敗後のアドバイスも、単純に「何事も七転び八起きでいいんだ」などと言ったところで簡単には通じない。「辛いだろうが、この学びを次に生かせるように昇華していこう」というような、もっとその子の内面に寄り添ったものが必要となる。
以上のような仕分けが必要となってくるのだ。
懇談会でこんな母親に出会うことはないだろうか。
「太朗ももっと、授業中にハイハイ手をあげてくれるといいですけどねー。……だからね、よく言うんですよ。あんたも弟みたいに間違えても平気になりなさいって。ほんとに太郎はふがいないですね……」
こういう母親は、たいてい活動的で元気いっぱいな外向型である。対する子どもは内向型。親子とはいえ、外向型である母親には、内向型の子どもの行動原理がわかりにくい。なぜもっと積極的にやれないのか。意気地なし! と決めつけることになりかねない。
また、兄弟でも性分は違う。内向型の兄は、外向型の弟よりもはるかに失敗を気にし、挑戦へのハードルを高く感じているのだ。嘆いている母親の様に、そう簡単に「平気」にはなれない。
逆に内向型からすれば、外向型のがさつや無神経ぶりが理解できないことも多い。
「なぜあんな完成度で平気なのか」
「なぜあんないいかげんあことができるのか」
といったところである。
そういう内向型は、完璧主義が強く、中途半端なものを嫌う。
特徴を対比していけばキリがないが、性分の違いに応じなければならないということは分かってもらえるだろう。天与の性分に善悪はない。しかし、差は厳然としてある。教師はこのどちらの性分にも応じていかねばならない。
そして、私が学級集団を率いるのにどちらにより配慮してきたかといえば、言うまでもなく内向型である。外向型は、簡単に言えば、単純明快さを持っている。より目に見えるエネルギーの強い方向に引っ張っていけばよい。しかし、内向型は複雑な思考回路を持っている。ひとつの行動をとらせるにも趣旨説明や段取り説明を懇切丁寧にする必要がある。必ず自分の段取りを重視するという面を持っているので、頭ごなしに単純論理で終わらせてはいけない。段取りの擦り合わせが必要なのだ。
それらを無視して、内向型を問答無用である方向に引っ張ってみたり、無理に何かさせてみたり、外向型相手にまどろっこしい説明ばかりして活動を遅延させたりしていれば、当然その双方から嫌われる存在にもなろう。
ヒロシは「同じようにやっているのに片方がうまくいかない」のを不思議がっているが、それはあたりまえだ。よいことをいえば誰にでも響くわけではない。
「人を見る」の2つ目は「相手の状況」である。私たちは、どうしても目の前にいる相手は、自分と同じ家庭環境や状況にいるものと思いがちだ。しかし私は、莫大な数の家庭と接してきて、世の中には本当にいろいろな家庭環境があり、自分が想像もできなかったような状況もあるものだということを実感してきた。
経験不足の若い頃は、特にこうした違いへの意識がもてないものだ。
しかし、「説得力」という側面から考えれば、相手の状況を見ることは絶対に必要だ。たとえば単純な話、教室がとても寒ければ、凍えて話を聞くどころではないだろうし、最愛のペットが危篤になった、この後の時間には体力テストがある、両親が朝からケンカをしていた……というような不安を抱えていればなおさらだ。より自分に近い喫緊の問題の方が大きい。
どうも最近あの子は落ち着きがない、話が入らないということがあれば、「しっかり聞け!」と強弁する前に「家で何かあったかな」という程度には想いを馳せるべきである。恵まれて育った教師には想像を絶するような家庭環境にある子もたくさんいる。「落ち着いて話が聞けない」「素直に聞けない」、もっといえば「その話を受け入れたら自分が保てなくなる」という事情を抱える子もあり得るのではないか。
人の性分はそれぞれ。抱えている問題も、置かれている状況もそれぞれ。求めているものもそれぞれ。皆一様にというわけにはいかない。
そうしたことへの目配りも含めての「人を見て法を説け」である。

