駒込柔道部の原点

私が柔道部の顧問になって今年で16年目である。私が平成12年の4月に顧問になったとき柔道部は高校が1,2名、中学3年生が5名、中学2年生が2名と部員数は中高合わせて10名にも満たなかった。ただ、幸いなことに中学3年生に「りょうすけ」という柔道をとてつもなく愛している部員がいた。

顧問になって「りょうすけ」と会い、最初に言われた言葉は今でも鮮明に覚えている。「僕たちを試合に出させてください」である。今までの顧問を悪く言うつもりはないが、やはり柔道を経験していないのもあって練習にも顔を出さず、試合にも人数が少ないこともあってなかなか申し込みをしなかったらしい。

私が顧問になって本格的に柔道部らしい練習が始まった。新入部員も高校1年生は7,8名入るなど盛況だったが厳しい練習が続くと次々と辞めていった。しかし、元からいた部員は辞めることなく頑張って練習した。翌年その成果もあって、「りょうすけ」が高校1年生になった年の学年別大会、支部大会で見事優勝し、都大会でもベスト8に入る快挙を成し遂げた。

その後も多くの結果を残し、「りょうすけ」は父親の母校である東洋大学に進学した。東洋大学の柔道部員はほとんどの生徒が全国大会の経験者で、「りょうすけ」は団体戦の東京都ベスト8しか実績を持っていない生徒であった。

よってスポーツ推薦ではなく普通の推薦入試で合格して東洋大学柔道部の門をたたいた。そんな強い柔道部で実力は部内で下にも関わらず「りょうすけ」は頑張った。そして大学4年生のとき、個人戦の66kgで東京都第3位に入賞した。高校と違って大学は東京に集中している。東海大学や国士舘大学、日体大、明治などオリンピック選手を輩出する大学がひしめく東京で、この結果は東洋大学としても快挙である。

東洋大学は白山にある。土地の利便性もあって時間があれば駒込に遊びに来て後輩に稽古をつけてくれる。「りょうすけ」の指導のおかげもあって後輩もめきめきと実力を上げて都大会個人戦で準優勝や3位に入賞したり、団体戦で関東大会出場を果たしたりした。

今も休日に顔を出していろいろと指導してくれる。長田は最近、合宿以外で柔道着を着ることがなくなった。それは、講習などで忙しいというのもあるが、打ち込み1つをとっても、腕の引き方をセンチ単位で指導している「りょうすけ」を見て、「俺には無理だ」と思ってしまったところもある。それ以来、指導はほとんどOBに任せて、自分は長田にしかできない仕事に専念している。

私が顧問になってから柔道部は活動を始め、実績を上げ始めた。よって私の指導の成果のように感じられるかもしれない。しかし、事実は今述べたとおりである。全ては「りょうすけ」のおかげである。本当に感謝している。

駒込柔道部の原点は「りょうすけ」といっても過言ではない。

 

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これが、いつも学級通信などにも掲載しているりょうすけのコラムですが、

りょうすけの試合で記憶に残っているのは、

 

高1学年別大会 都大会の準々決勝。

東海大高輪台のOから掬い投げで技ありを取ったシーン。

試合前に「りょうすけが先鋒で絶対に取って来るから、後ろの2人は繋ぐんだぞ」

と言っていたら、本当に技ありを取ってきたのには驚いた。

 

第3支部新人大会 決勝

豊島学院との決勝戦で先鋒として出場。

終了間際に決めた天秤背負いは凄かった。

相手が試合場の机に激突したんだけど、見込みで一本を摂ってもらえた。

 

他にも、国士舘や修徳にも引き分けたり

(国士舘とは帯もちで指導取られたけど、投げられはしなかった)

団体戦では大活躍していた思い出があるね~。

 

 

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