インプットとアウトプットのバランス

楽修の仕方を大きく2つに分けるとしたら、インプットとアウトプットだろう。

インプットはINPUTであり、脳内に知識を修める楽修であり、アウトプットはOUTPUTは脳内にある知識を実践する楽修である。部活動でいうところのコーチや先輩からテクニックを教わるのがインプットであり、練習試合などがアウトプットになる。このインプットとアウトプットのバランスが結構大事である。
私は中学時代まで、学校の楽修は好きな社会を除いて、ほとんどノー勉だった。もちろん授業はきちんと聞いていた。要するに授業で覚えたことがそのまま試験に出る。さらに言い方変えればインプットだけの楽修方法でなんとかなっていた。

しかし、高校時代になると、そうはいかなくなった。高1の1学期中間テストは580人中550番だった。ここから、少しずつアウトプットを始めた。定着を図るためには演習を積まなければならないということだ。

個人的な意見だが、小学校、中学校まではテストで良い点を取れても、高校になって急に点を取れなく生徒のほとんどが、インプット中心の楽修をしている生徒である。これは特に理系科目にあてはまる。

よく、「中学のときは数学得意だったんですけど」という生徒は、中学時代までのテストが計算中心であったり、文章題に関しても「~をしなさい」と何をすればいいか分かるケースが多い。しかし、場合の数や確率のように、求めるものは分かっていても、Pを用いるのか、Cを用いるのか、それとも数え上げるしかないのか、これを文章を読んで把握しないと、公式も使えない。

特に最近は日本人は詰め込み教育だから、言われたことしかできない、ということで、思考力を養う教育が要求されている。これは言い方を変えればインプットだけの教育からもっとアウトプットを繰り返し、試行錯誤する楽修への転換ともいえる。

だから、長田は面談などを行うときに、生徒が思考型か暗記型かを考えると同時に、インプット中心かアウトプット中心化を見極めながら楽修指導を行っている。

ちなみに長田は高校生のインプットとアウトプットの比率は4:6ぐらいがいいと思う。というのも、よく楽修の話をするときに、多くの先生はピラミッドを描き、土台が大事だというが、個人的には年が経つに連れて覚える量は当然ながら増える。正直逆ピラミッド状態だろう。

個人的には弓矢の的をイメージさせて、半径が大きくなると面積は半径の2乗になるから覚える量は格段に変わるから、丸暗記には限界があるし、他の用語などと繋いでいかないといけないと、暗記(インプット)の仕方も変えさせた上で、だからこそ、演習(アウトプット)も増やさないといけないことを伝えるようにしている。

特に一番気をつけるのがインプット中心の思考型である。このタイプに一番多いのは、ノートを丁寧に書く。だから楽修時間は他の人よりも多い。そしてその時間で満足してしまうケースが多く、時間の割には成績が良くない。また、数学に関していうと、アウトプットをしないので、解き方が分かっても計算ミスばかりで得点を取れない。だから、長田は「ドリルだ!計算演習を積め!」とアドバイスをしている。

また、アウトプットに偏重するのも良くない。演習を積めばそれが反復になるので多少なりとも意味があるが効率は悪い。クラブ活動で例えるなら練習試合ばかりするようなものだ。PDCAサイクルのように、アウトプットが終わって不十分なところがあれば、きちっとインプットすることが不可欠だし、効率も良い。

ということで、今一度自分の生活サイクルがインプットとアウトプットのバランスがどちらかに偏っていないか見直してみるといいだろう。

ちなみに長田は読書でインプット、このブログでアウトプットしながら、人間力を高めている。読書している人は他の人に話をしたり、長田のようにブログを書いたり日記を書いたりして、それを読み直すことによってインプットするなどすると良いだろう。

また、いつも仕事に追われて、インプットする機会が少ない人も読書や映画、旅行などで新しい知識や知恵をインプットする機会を作ることを勧める。

何事もバランスが大切だ。

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