関東大会補欠

2009年、2対3で駒場に敗れて惜しくも関東大会を逃した。

 

 

今年こそはと思っていたが、3月末に「りょうすけ」が足首付近を骨折してしまった。本人は強行出場したものの、やはり足の痛みには勝てなかった。


肩車がこの年度から禁止になったのも大きく影響していた。今年ならあの肩車は問題ない形であった。正直不運な面もあったが、それでも「こうへい」が靭帯断裂をしたときの課題であった選手層を厚くすることを怠ったのが原因であると思う。

 

 

そんななか、大活躍したのが「しょういち」だった。この年、女子部員が入部してくれたのが一番の要因だったと思う。そして「しょういち」の試合会場が駒込の補助生徒が働いていた場所であったのも大きい。最大の難関だと思っていた1回戦の東海大高輪台のNを判定勝ちで下すと、八王子実践、杉並工業、日本学園の選手を撃破しベスト4へと進出した。

 

 

この試合に勝てば関東大会出場という試合の対戦相手は国士舘のO。インターハイで優勝したチームのエースである。寝技で一本負けだった。

 

 

そして関東大会の補欠を決める3位決定戦。相手は安田学園のSである。寝技での三角絞めが得意な選手である。正直、寝技に持ち込まれたら負けるだろうと思った。勝つためにも立ち技勝負である。

 

 

試合開始直後、Sは「しょういち」をよく研究していなかったのだろう。「しょういち」は簡単に背部をとることに成功。そして小外刈り一閃。開始5秒での一本勝ちだった。

 

 

終了直後に「しょういち」と「けんた」が泣きながら抱き合っていた姿は今でも鮮明に残っている。いままで「しょういち」は多くの先輩から叱られ続けていた。しかし、それは「しょういち」のためであり、強くなってほしいという一心だったと気付いたのかもしれない。これがキッカケなのだろうか、「しょういち」の心が少しずつ融け始めたと思う。

 

 

知っている人は知っているだろうが、ずっと柔道部を辞めたがっていた「しょういち」がきちんと練習に取り組むようになった。2011年ももベスト8に進出し、全日本ジュニア東京都予選でも国士舘のレギュラーと互角に戦ったのだ。(有効負け)

 

 

たしかに「しょういち」の体格は別格だが、誰がここまでの実績を残すとそうぞうしただろうか。

 

 

結局、一番大事なのは心なのだ。

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