数値化社会

この本は、2006年の大学入試で現代文(評論)で最も多く出典された本です。こういった本を読めるようになると大学入試に対応できる一般教養を身につけられたことになります。

というか、この本ものすごく長田に響きました。是非読んでください。

下のコラムは以前、学級通信に掲載したものです。(比叡山研修に関するコラムですね。)

生きる意味 (岩波新書)

生きる意味 (岩波新書)

  • 作者: 上田 紀行
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2005/01/20
  • メディア: 新書


最近は若年者の凶悪犯罪、中高年の自殺など生死に関わる事件が頻繁に起き、現代人は生死の価値を下げているように感じる。何故人々は生死を軽んじるのだろうか。

それはアメリカ文明による経済成長教に起因するかもしれない。戦後の日本は敗戦からすぐに立ち直り大きな経済成長を遂げた。何故かというと経済を立て直すことが国を豊かにし、人々を幸せにすると考えたからだろう。つまり、人々は幸せを数値化したのだ。幸せになるためにはお金が必要だ。お金を沢山得るためには一流企業に入らなければいけない。一流企業に入るには偏差値の高い高校、大学に入学しなければならない。幸せを図る基準がお金や偏差値という数字で表されるようになってしまったのだ。

そのため、企業は成果至上主義に陥った。また教育機関も本来の意義を忘れ企業で働ける人材を育てるために、学生を同じことができるような一律した育成に励むことになった。そして生徒も他人と違う目で見られることを嫌い、透明化してしまったのである。

しかしながら、バブルの崩壊やオウム事件を始めとする高学歴者の犯罪など数値信仰に裏切られ、人々は何を頼って幸せを目指すべきか、その指針を失った。さらに、人は本来ひとりひとり異なるかけがえのない人間であるにも関わらず、数値化によって交換可能な存在になり、存在意義を見出せなくなって生きる意味を失ったのだ。

現代は昔と比べて豊かである。それは科学技術が発展したからであり、昔は電気や石油もなく自然の猛威に怯えながら日々生きてきた。数値信仰もなく人々は純粋に幸せを追い求めていた。昔の人々は何を頼りに生きていたのだろうか。

それは仏教を始めとする宗教である。現代では葬式仏教と揶揄されているが、昔は生活の一部となって庶民を幸せへと導いた。門前町や寺子屋など寺社が地域に根差していた。仏教の教えによって心を磨いて内面を成長させてきたのである。今こそ仏教は本来の意義を取り戻し、人々を幸せに導くべきである。決して掛け換えることができない人間へと成長させていくのだ。

現代社会は数値化社会であるが、数値に依存することは危険である。そして生死を数値化させることは明らかに間違っている。もっと感情を持って心を豊かにすることこそが現代人に必要不可欠なことである。頑張れ仏教。

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といった感じで本の後半部分は、仏教の取り組みが書かれているのですが、無宗教の人でも一度は手にとってほしいし、宗教から離れた観点で現代社会の諸問題をこの本から読み取ってほしいなぁ~と思います。

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