継続とは継続できることを継続すること

夢を叶えようと思って何か新しいことを始めようとする。しかし、なかなか上手くいかないことがある。1つには、新しいことを始めるためには、今までしてきた何かしらの時間と交換できないという理由があるだろう。しかし、それ以上に現実的にできないことを目標に実行しようとする場合もある。

 

たとえば、長田がダイエットのために毎日5km走ることを目標にしたとする。まず、継続できないどころか、始めることもできないだろう。始められない理由はいくつもある。1つには5km走る時間がない。1つには、そこまで苦しい思いをして、ダイエットをしたいと思っていない。1つにはランニングシューズとウェアを持っていない。そして何よりも5km走る体力がない。歩くのなら大丈夫だが、走れる自信は全くない。

これは分かりやすい例だが、夢も同じだと思う。例えば、生まれ変わりたいと思うなら人と出会えばいい。それは旅先の人でもいいし、どこかの講演会でもいいだろう。その出会い方で長田は読書を選らんだだけである。夢を叶えるための道は1つではない。いろいろな道が必要である。そしてそれを継続しなければならないのだ。

だからちょっと関係ないと思っても、自分に出来る新たなスタートを見つけ、それを継続していくことが大事なんだと思う。

 

以下のコラムはプロ野球界で現役最年長記録を更新した山本昌選手の本のコラムの1節である。

継続する心

継続する心

  • 作者: 山本昌
  • 出版社/メーカー: 青志社
  • 発売日: 2013/01/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

08「少しでも続ける」を心がける

「継続は力なり」という。 そのとおりだ。

 

歴史書が大好きでよく読むが、仏教の歴史本に『最下鈍の者も12年を経れば必ず一験を得ん』という言葉を見つけて、思わずヒザを打った。日本天台宗開祖・最澄の言葉で、最下鈍―すなわち「どんなに愚かで才能の無い人間であっても、1つのことを12年続けていれば、必ず1つは秀でるものをつかむことができる」という意味だ。「最下鈍の者」とは、最澄自身を指していて、比叡山にこもって修行をしたのが、19歳から31歳まで。この修行年数が12年というわけである。

 

 

最澄に自分をなぞらえるのはおこがましいが、さしたる才能も無い僕が何故213勝をあげることができたのかといえば、その最大の要因は「継続力」にあると思っている。

 

 

だが、何事も継続するというのは苦しい。「よし、今日からダイエット。毎朝5km走るぞ!」と決心は誰でも出来るが、それを継続するのは至難のワザ。1日目、頑張って走る。2日目、怠け心ムチ打って走る。3日目、雨が降れば(やーめた)となって、ジョギングは三日坊主で終わり、(俺って意志が弱いな)と落ち込むことになる。ジョギングに限らず、こうした経験はどなたもあるだろう。資格取得を目指した出勤前の早朝勉強など、たいてい挫折すると聞いたことがある。

 

 

だが、僕に言わせれば、これは意志が弱いのでもなんでもない。継続するには志が高すぎただけなのだ。つまり、“目標値”を先に設定し、それを継続しようとすることに無理がある。“目標値”を成果から逆算するので、どうしても目一杯のものになる。そんなことが長続きするわけがなく、挫折して当然なのである。

 

 

僕は逆発想する。“目標値”を成果から逆算するのではなく、継続できるかどうか、から考えて決めるのだ。例えば毎朝走るなら、「何キロだったら毎日続けられるか」を考える。だから思い切って距離を短くする。5キロを目標にしたいと思ったら、1キロにする。これだったら、雨が降ろうが、ヤリが降ろうが継続できるからだ。

 

 

これは、僕の考え方だが、「継続は力なり」の「力」とは精神力を養うことを意味すると思っている。たった1キロでも、1ヶ月、2ヶ月、半年、1年と続けていくうちに、「俺はやり遂げている」という自信が腹の底から沸き上がってくるものだ。5キロの距離をノルマにして挫折すれば「自己嫌悪」、わずか1キロでも継続すれば「自信」。どっちがいいか、言うまでもないだろう。

 

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大きな目標を掲げ、自分を厳しく律し、継続できる人を「天才」と呼ぶ。凡人に天才の真似はできない。継続できるだけの小さな目標を持ち、毎日、コツコツとやっていくことで、凡人は少しずつ、しかし着実に進歩していくのだ。

 

もし、僕に才能と呼べるものがあるとすれば、「凡人」としての自覚を持てたことだろうか。天才のように、きついことを長くやるのは駄目で、軽いことを長くやるのが、得意な人間であることが、高校時代からわかっていた。

 

だから無理をしない。

 

ダンベルを購入して手首を鍛えるのを日課としたが、重さは2キロと軽いものにした。この重さなら苦にならないからだ。さらに、トレーニングが10種類ほどあったが、僕はそれを1日3種類だけにした。寝る前に必ずノートを開き、表を作って、10種類のトレーニング内容を書き記し、ノートの下半分には、その日に行った3種類のトレーニングに○をつけていった。3種類だけなら、10分もあればできるからだ。そして、本当は10種類全部やるのがいいことは分かっている。しかし、それをやれば、苦痛になって続かないということもまた、僕にはわかっていたのだった。

 

ちなみに、高校時代から始めた2キロのダンベルトレーニングは、30年が経った今でも休まず継続している。

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どうだろうか。継続して手に入れられるものは、その成果だけでなく、「できた」という自信も獲得できる。

これは天才イチローにおいても同様だ。「致知」と雑誌でイチローのバッティングピッチャーをしていた奥村さんの記事にこんなのがあった。

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これは、私が打撃投手に区切りをつけ、トレーナーになろうとメンタルトレーニンの勉強をしていたときのことだった。イチロー選手を掴まえてメンタルトレーニングについてどのように考えているかと尋ねてみた。すると彼は一言、

「メンタルを鍛える、つまり心を鍛えるっていうのは、自分に必要なことを続ける努力をすることじゃないんですか。」と答えた。

私はその答えに興味を覚え、さらに質問を続けた。「これまでに、これだけは絶対誰にも負けないと胸を張って言える努力って何?」と

「高校の時に寮に入っていた3年間、僕は寝る前の10分間素振りをしていました。そしてそれを1年365日3年間欠かさず続けました。それが僕の誰にも負けないと思える努力です。」

この話を聞きながら、自分にどんな努力をしてきただろうかと自らに問い掛けた。「今日は家に帰ったら300回素振りをしよう」とか、「今日はいつもより多く走ってこよう」といった努力はしてきたが、イチロー選手のようにこれだけは絶対にやらなければという思いで続けてきたことは何もなかったことに気づかされた。

この話には後日談がある。つい最近のことだが、私の講演を聞いてくれたイチロー選手の高校時代の先輩に声を掛けられ、その講演で触れた「10分間の素振り」について、話題が及んだ。「やっぱり本当なんですか」と私が尋ねると、その答えに驚いてしまった。

「10分間の素振りね、あれは最低10分間だからね。やり続けると1時間でも2時間でもやっていましたよ」

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イチローの話を私たちが実行することは非常に難しいかもしれないが、1日の最低目標を決めることは面白いことだと思う。続けたいときは好きなだけやればいいのだ。

 

今、長田はこのブログを毎日更新している。もしかしたら、「毎日更新するなんて凄いなぁ~」と思っている人がいるかもしれない。しかし、実際には毎日更新をしてはいない。予約発信で一日に何回分かをまとめている。そして、この毎日発信は決してチャレンジではない。始める前からできると確信してスタートした。

 

それは、9年前から学級通信を発行するようになり、4年前からブログに切り替え、すでに毎日更新したことがあるからであり、このブログは今までの積み重ねの延長上にある。そして、このブログが夢とどう繋がっているか。それはまた今度書きたいが、決して無駄だとは思っていない。ちょっと遠回りぐらいしている程度だ。

 

もし、皆も夢を叶えようと思って何かを始めるなら、今までの自分の延長上にあるものや、これぐらいなら毎日継続できる、といったものにしておくことを勧める。そして、最初は自分なりに頑張っていてもなかなか気づいてもらえないこともあるが、それを継続し続けていけば必ず周りに気づいて貰えるので、それまでは心のストレスを溜めないような継続できることを継続してほしい。

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