世界でもっとも貧しい大統領

前ウルグアイ大統領の言葉

 世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉

世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉

  • 作者: 佐藤 美由紀
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2015/07/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

2012年のリオ会議におけるスピーチを掲載します。共感した人は是非本を買いましょう。

感動します。舛添さんに読ませたい!

 

 

会場にお越しの正負や代表の皆様、ありがとうございます。

ここにご招待いただいたブラジル国、そしてディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前にここに立って演説した、心良きプレゼンターの皆様にも感謝いたします。

 

国を代表する者同士、人類が必要とする国同士の決議を議決しなければならない。その素直な志をここで表現しているのだと思います。

 

しかし、頭の中にある厳しい疑問をこえにださせてください。

 

午後からずっと話されていたことは、「持続可能な発展と世界の貧困をなくすこと」でした。けれども、私達の本音は何なのでしょうか。現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することなのでしょうか。

 

質問をさせてください。

ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。息をするための酸素がどれぐらい残るのでしょうか。

 

同じ質問を別の言い方でしましょう。

 

静養の富裕社会がもつ傲慢な消費を、世界の70~80億の人ができると思いますか。そんな原料がこの地球にあるのでしょうか。可能ですか。

 

それとも別の議論をしなければならないのでしょうか。

 

なぜ、私達はこのような社会を作ってしまったのですか。マーケット経済の子ども、資本主義の子ども達、つまり私達が、間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作ってきたのです。

 

マーケット経済がマーケット社会をつくり、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで減量を捜し求める社会にしたのではないでしょうか。

 

私達がグローバリゼーションをコントロールしていますか。グローバリゼーションが私達をコントロールしているのはないでしょうか。

 

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなで世界をよくしていこう」といった共存共栄な議論はできるのでしょうか。

どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか。

 

このようなことを言うのは、このイベントの重要性を批判するためではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は、環境危機でありません。政治的な危機問題なのです。

 

現代に至っては人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私達は発展するために生まれてきているわけではありません。私達は発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。

 

人生は短いし、すぐ目の前を通り過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

 

ハイパー消費が世界を壊しているにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。

消費が社会のモーターになっている世界では、私達は消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば、「不況のお化け」がみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためにには、商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、本当なら10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない・・・。

 

私達はそんな社会にいるのです!

 

長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけない。人がもっと働くため、もっとうるために「使い捨ての社会」を続けなければならいのです。

 

悪循環の中にいることにお気づきでしょうか。これは紛れもなく政治問題です。私達首脳は、この問題を別の解決の道に導かなければなりません。

 

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。

 

私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

 

昔の賢明な人々、エピクロス、セネカやマイアラ民族までこんなことを言っています。

 

「貧乏な人とは少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

 

私は国の代表者として、そういう気持ちでこの場に参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉が結構有ると思います。しかし、みなさんには、水源危機と環境危機が問題の源でないことを分かってほしいのです。根本的な問題は、私達が実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは、私達の生活スタイルだということ。

 

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、私の国には、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛がいます。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べものの輸出国です。こんなに小さな国なのに領土の90%が資源に溢れているのです。

 

私の同士である労働者たちは、8時間労働を成立させるために闘いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしならば、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。

 

なぜか?

バイク車のローンを支払わなければならないからです。毎月2倍働き、ローンを働いていったら、いつの間にか、私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。そして自分自身に質問を投げかけます。これが人類の運命なのか・・・と。

 

私の言っていることは、とてもシンプルなものですよ。発展は幸福を阻害するものではあってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛を育むこと、人間関係を築くこと、子どもを育てること、友達を持つこと、そして、必要な最低限の物を持つこと。

 

発展は、これらをもたらずべきなのです。幸福が私達のもっとも大切なものだからです。環境のために闘うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であることを覚えておかなくてはなりません。

 

ありがとうございました。

 

(スピーチ訳:打村明)

 

 

 

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