(今日のコラムはちょっと屁理屈をこねています。)
今、教育実習生が駒込学園に来ているのだけれども、
多くの先生が「実習生は挨拶をしない」と言う。
たしかに、1人の実習生を除いて挨拶をしてこないのだが、
(この唯一の実習生はなかなか素晴らしい。
学生時代ほぼ面識がない長田にも朝晩きちんと挨拶をしにくる!)
この言葉に長田は違和感を覚える。
(本当に屁理屈で申し訳ないのだが)
「挨拶をしない」ではなくて、「挨拶を返さない」の間違いではないか?と思う自分がいる。
というのも、向こうが挨拶をしないから、こっちも挨拶をしないんだ、のような
どこかで目下のものが先に挨拶をするべきだ的な・・・そんなニュアンスにとってしまえるからだ。
昔の長田も全然挨拶ができなくて、同じようなことを言われた。
もちろん、自分も人見知りが激しくて、会釈程度しかしていなかったので、
相手にそう思われるのは当然だったと思う。
今の長田は多少なりとも挨拶をするようになった。
それは、この本の言葉からである。
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- 作者: 比田井 和孝
- 出版社/メーカー: ごま書房新社
- 発売日: 2008/07/20
- メディア: 単行本
あいさつとは、相手の存在を認め、相手に対して心を開くこと
相手からあいさつをされれば返すけど自分からはしない
というのは、「相手を無視している、存在を認めていない」
組織の中であいさつができないっていうのは、
「その組織の中のひとりひとりが同じ組織のみんなに心を開いていない」
っていうこと
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これを読んでから、
朝の校門立番では指導よりも挨拶をするようにしたんだけど、
いやぁ、自分は全然心を開けていないことを実感しました。苦笑
もうね~、挨拶しながら泣きそうだった。(本当に)
返事が戻ってこないってこんなに悲しいんだって。
だけど、ずっと挨拶をするようになるとね、
相手も気付いて、向こうから挨拶をしてくれるんだよね。
Give and Take、
長田的には「与えるものには与えられる」と訳すんだけど、
あぁ、挨拶してきた甲斐があったなって。
だからね、ある人が挨拶しないときは
まずは長田から心を開かなきゃって思っている。
まぁ、まだまだできていなくて、未だに悪戦苦闘中なんだけどね~。
そんな理由で、長田は「~が挨拶をしない」という発言を聞くと
心の中に?が芽生えてしまうんだ。
別に相手のことなんてどうでもいいじゃん。自分がきちんと挨拶できていれば。
もしも相手のことを思っての発言なら、本人に直接言えばいいじゃないか。
あえて裏で言う必要もないだろう
挨拶をしないのは、その人に心を開いていないだけ。
開いて欲しいなら、まずは自分から開いていかないと。
別に無理して相手を変えなくても、
こちらから与え続けていけば、きっと相手も与えてくれると思うんだ。
校門立番(正確には下足室前の挨拶運動)で今日も修行する。
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