話を聞いてみないと分からないことって結構ある。

ノルマ、偏差値、給料、労働時間など、今の世の中って数値や結果ですべてが判断される世の中だと思う。言い方を変えれば、目に見えるものだけで判断してしまうケースが多い。

もっと見えないものを、物事の本質を捉えることを重要視すべきではないだろうか?

例えば、おおもり先生から紹介された7つの習慣にこんな話がある。

 

ある日曜日の朝、ニューヨークの地下鉄に乗った。乗客は皆静かに座っていた。ある人は新聞を読み、ある人は思考にふけり、またある人は目を閉じて休んでいた。全ては落ち着いていて平和な雰囲気だった。

 

そこに、ひとりの男性が子ども達を連れて車両に乗り込んできた。すぐに子ども達がうるさく騒ぎ出し、それまでの静かな雰囲気は一瞬にして壊されてしまった。

 

しかし、その男性は私の隣に座って、目を閉じたまま、周りの様子に全く気付かない様子だった。子ども達といえば、大声を出したり、物を投げたり、人の新聞まで奪い取ったりする有様でなんとも騒々しく気に障るものだった。ところが、隣に座っている男性はそれに対して何もしようとはしなかった。

 

【これを聞いてあなたはどう感じますか?】

 

私は、いらだちを覚えずにはいられなかった。子ども達にそういう行動をさせて起きながら注意もせず、何の責任も取ろうとはしない彼の態度が信じられなかった。周りの人たちもイライラしているように見えた。私は耐えられなくなり、彼に向かって、非常に控えめに、「あなたのお子さんたちが、皆さんの迷惑になっているようですよ。もう少し大人しくさせることはできないのでしょうか?」と言ってみた

彼は目を開けると、まるで初めてその様子に気がついたかのような表情になり、柔らかい、物静かなな声でこう返事した。

 

「あぁ、あぁ、本当にそうですね。どうにかしないと・・・。」

 

【これを聞いてあなたはどう感じますか?】

 

「実はたった今、病院から出てきたところなんです。1時間ほど前に妻が・・・、あの子達の母親が亡くなったものだから、いったいどうすればいいのか・・・。子ども達も混乱しているみたいで・・」

 

【これを聞いてあなたはどう感じますか?】

その瞬間の私の気持ちが、想像できるだろうか。私のパラダイムは一瞬にして転換してしまった。突然、その状況を全く違う目で見ることが出来た。違って見えたから違って感じ、そして違って行動した。今までのイライラした気持ちは一瞬にして消え去った。自分のとっていた行動や態度を無理に抑える必要はなくなっていた。私の心にその男性の痛みがいっぱいに広がり、同情や哀れみの感情が自然にあふれ出たのである。

 

「奥さんが亡くなったのですか。それは本当にお気の毒に。何か私にできることはないでしょうか。」

 

一瞬にして、すべてが変わった。

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最近はPCでニュースを見る機会が増えた。そこで目にするニュースに対応する世間の人々のコメントを見ていると仕方ないとは言え、断片的な情報からだけで言いたいことを言っているように思う。

 

もっともっと見方(パラダイム)を変えたり情報を収集しないといけない。数値や結果で周囲の人を判断しないように。場合によっては本人に話を聞いたり。まちがっても自分の尺度で相手を決め付けないように。

 

なんかこの世の中はギスギスしていて、夢を語れない時代になったような気になるが、もっともっと色々な人の話を勇気に変えて、みんなが前向きに一人ひとりの幸せを願える社会になるといいな~。

 

 

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