魔法のコンパス。その4

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ということで長田が好きな本の好きなコラムを紹介します。
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今回はコチラ。

魔法のコンパス 道なき道の歩き方

魔法のコンパス 道なき道の歩き方

  • 作者: 西野 亮廣
  • 出版社/メーカー: 主婦と生活社
  • 発売日: 2016/08/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

授業中のスマホ使用禁止は時代錯誤

 

週に一度は、Yahoo!ニュースに登場し、3日に1度は炎上し、五輪の聖火ばりに燃え続けている僕には、もはやネット炎上の自覚症状などなく、「今、炎上していますね」と教えていただくこともしばしば。返事は決まって「どの案件ですか?」出火場所は1つや2つじゃないのだ。

 

以前、フェイスブックに投稿した「授業中に『話をきかないから』という理由でスマホの使用を禁止する先生はアホ」という記事も、やはりよく燃えた。そして、古くからのファンは、暖をとるように優しい目で見届けて、決して消火しようとしない。アイツらめ。

 

フェイスブックに投稿した記事の内容の一部を抜粋する。

 

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「生徒が話を聞かなくなるから」という理由で授業中のスマホ使用を禁止している学校の時代錯誤感と怠慢っぷりがハンパねぇー。たとえば、授業中にスマホの使用を禁止している先生の言い分が「光ったり、音が鳴ったりすると、他人に迷惑がかかるから」だったら納得がいく。

 

劇場で携帯電話の電源を切ってもらっている理由がそれだ。他人に迷惑がかからないのなら、寝てもらっても構わないし、帰ってもらっても構わない。

 

んでもって、授業中のスマホの話。

「他人に迷惑がかかるから」ではなくて、「生徒が話を聞かなくなるから」という言い分は、どうなの?先生の怠慢でしかなくね?生徒家族から大金を徴収して、スマホに興味を持っていかれる程度の話しか提供できていないことを棚上げちゃっているんだもん

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これに対して、ある先生から「スマホ依存になっちゃっている子ども達を見ると、無理矢理でも距離を置く時間があったほうがいい」というご意見をいただいたんだけど、ご都合主義も甚だしい。都合よく、「スマホ依存」なんて言葉を使って社会問題と向き合っているように見せて、その実「言う事を聞かないから取り上げる」というだけ。

 

そりゃ、スマホに持っていかれるよね。難しい話じゃない。ただ単純に、生徒は面白いほうに流れているだけで、先生はそこと闘わなきゃいけない。

 

スマホの使用を禁止する前に、発生の訓練をして、人を惹き付ける喋りの訓練をして、人を惹き付けるビジュアルの努力をして、ショーの世界を覗いて勉強をして、手や身体の振り方を研究して、今の流行を言えるようになることが先じゃないかな?

 

これらの努力をサボっておいて、「話を聞かないから」でスマホ禁止は、もう軍隊のやることだよ。「教師は聖職者だから、黙っていう事を聞け」という時代じゃないんだよね。そりゃまあ、この言い分が通っちゃうと都合が悪くなる人が大量発生するから炎上はするだろうなぁ、と思っていたので、炎上したって構わない。

 

だけど、炎上したって、意見は変わらない。

 

どれだけ反論されようが、授業中のスマホ使用禁止は、先生の怠慢であり、そしてなにより時代錯誤だ。もはやスマホは生活インフラになっているから。学校にいる時間以外はスマホを使っているわけだ。紙やペンや地図や時計や新聞などの役割を、スマホが担っているわけだ。スマホに馴染みの薄い上の世代の方には、こう説明すると創造しやすいかもしれない。

 

「授業中にノートと辞書を開くのは禁止」

今にも「いやいや、ノートとスマホは全然違う!スマホにはゲームが入っているし、スマホを使って他の生徒とやり取りもできる」という声が聞こえてきそう。だけど、どうだろう?上の世代が子どもの頃。

つまんない先生の授業のとき、ノートの隅に絵を描いていたと思う。

つまんない先生の授業のとき、ノートを千切って手紙を回していたと思う。

詰まんない先生の授業のとき、辞書を開いてエロい言葉を検索していたと思う。

 

スマホの時代でも、紙とペンの時代でも、やるヤツはやるし、やらないヤツはやらない。原因はツールじゃないんだよね。そして、今はスマホの時代だから、スマホを取り上げられて力づくで紙とペンを渡されると、とっても不便なわけだ。上の世代の方が子どもだった頃に、紙とペンの使用を禁止されて、筆と半紙と硯をわたされているようなもの。「いや、そんなの普段、使ってねーから」だ。

 

板書をノートに書き写したいヤツもいるし、黒板を写メで撮って先生の話を聞く事に集中したいヤツだっている。写メで撮れば入院して学校に来られない子にも授業を届けてあげることができる。今の時代、本当はその選択肢があるのに、「これまではこうだったから」というコリ固まった常識で、その選択肢を殺しているのだ。

 

そんでもって、ここからは先生側の意見。

 

僕は月に1,2度大学の講義をしたりしているだけど、以前、高校にお邪魔したときに、学校全体がスマホ禁止になっていて、地獄的に面倒くさかった。

たとえば、「クラウドファンディング」のことを教えるときなんて、教科書に書いてあるクラウドファンディングの説明文よりも、実際にクラウドファンディングのページを見てもらうのが一番てっとり早いんだもん。「ちょっとスマホで、「クラウドファンディング」って検索してみてー」と言えないことで、バカみたいに回り道をしなきゃいけない。ちなみに教科書は地獄的に遅れているから、クラウドファンディングのことが書かれている教科書などそもそも存在しない。

なんでもそう。

 

たとえば美術の授業で、話が「伊藤若冲の絵」に飛躍したときに、教科書に伊藤若冲が載っていなかったら、「ちょっとスマホで「伊藤若冲 画像」って検索してみて!」と言えばいいんだけれど、スマホが禁止されていたら、「あの・・・・まぁ、家に帰って調べてみて」としか言えない。

 

現代史なんて、毎日アップデートされているのに、数年前に印刷された教科書を使い続けて、まるで現代史になっていない。人は便利なほうに必ず流れるから、遅かれ早かれ、小学校、・・・・・・下手すりゃ幼稚園レベルから授業中のスマホ使用は必ず常識になる。

時代の流れを止められるわけがないんだから、学校の先生はスマホを禁止になんかしている暇があったら、いずれやってくるその日に向けて、スマホと共存できるスキルを身につけといたほうがいいんじゃないかな。

 

テーマは「禁止」じゃなくて、「共存」。先生、頑張って!

 

 

 

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