まさのぶ。1

今月の6日~0日は卒業生のコラム。

今回は「まさのぶ」

 

蘭心竹生

 貴重な数Bの時間を潰して行った書初め。冬休み前から先生から予告されていた。そして、予告された瞬間にすぐに決まった。

 

自分が書く文字。それは、

「蘭心竹生」(らんしんちくしょう)

自分の背中を押す言葉はこれしかないと思ったし、今でも思っている。

 

「蘭の様に華やかに、竹の様に真っ直ぐに生きる。不器用だが、損得感情抜きの真っ直ぐな生き方。」

この言葉は、僕がリスペクトしている吉川晃司さんの好きな言葉だ。

『蘭の様に華やかに』
「汚い大人にはなりたくない。」
「長いものには巻かれない。」
吉川さんの言葉だ。
自分という人間を周りの影響で曲げず、例え誰のせいにもしない。
良かったことも、悪かったことも、全て自分の意思のもとで行動する。
「損得感情抜き」とはこの事だ。

 

華やかに生きる。とは、吉川さんにとってどういうことなのか。
吉川さんのこの言葉に答えがあると考える。
「どうにもならない事、無念をたくさん知ってるのに、口笛を吹いているようなオッサンは、カッコいい」
捉え方次第でパターンは幾つかあると思うが、所謂「型にハマらない生き方」をしている人が「カッコいい」のだと思う。
「~したら、~になるよね」とか「普通~したら、~するよ」とか、一般的な価値観があると思う。それを僕は「型」と呼び、型にハマっている人を「普通の人」と呼ぶ。

だが、吉川さんの言葉を例に出すと、「どうにもならない事、無念をたくさん知っている。だから彼は今絶望的だ。」と言う文が一般的なのではないかと考える。しかし、そのオッサンは「口笛を吹いている」

 

僕はこの世の中の「どうにもならない事」や「無念」これっぽっちも知らない。いや、並の高校生レベルでは知っている方だと思うが、世の中に比べたら比にならない事くらいは容易に想像できる。

だから、「口笛を吹いている」事がどの位スゴいのかは分からない。

だが、受験に置き換えて見たらどうだろう。「どうにもならない事」「無念」を知るということは、「確率は0」「諦める」と言葉を変換させたとして、その中で自分は「口笛を吹いている」か。どうだろう。

 

以前の作文にも書いたが、僕は受験をゴールだと思っていない。

1月16日の今日、古典の時間に狩野先生が同じ事を言っていた。とても感動した。

第一志望校は確かにある。夢への最短ルートであるその大学に受かる為に今も必死に精進しているつもりだ。だが、その志望校への道を閉ざされたら、自分はもうおしまいなのだろうか。いや、違う。受験はただの通過点でしかないのだ。狩野先生も長田先生も他の駒込の先生も親も言っている。閉ざされたら別の道から夢を追いかければ良い。遠回りになったって仕方ない。

 

「下を向いてる時間があるのなら、夢を見ろ。」

 

これは今までの高校生活で得た教訓だ。

 

上の疑問に戻るが、僕はそれでも「口笛を吹いている」だろう。
それは、僕が「夢」を持ってるから。

 

夢を持つことは、とても強い。
布袋さんも同じようなことを言っている。

 

自分が一番何をしたいのか、何になりたいのか、どういう人間になりたのか。
それがはっきりすれば、いつだって口笛を吹いていられる。なので、僕は考える。
吉川さんは、「夢を持っていて、常に前を向いている人」がカッコいいと思っているのだと。

 

根本的な所だが、「下を向いている人」と「前を向いている人」。どちらが『蘭の様に華やか』なのだろうか。無論、後者である。(無論で有って欲しい)

前を向いてる人は自然と笑顔になる。現実を見ることは確かに大事だが、現実ばかり見ていたら一歩も前に進めない。現実よりも先の未来、自分の夢を見られれば、今自分は何をすべきか、必然的に答えは見えてくる。

『竹の様に真っ直ぐに』
これは勿論、「ブレない精神」だ。
以前の作文から「夢」について語ってきた。そして先生からも、「ブレずに生きろ」と念押しを頂いた。

 

「ブレずに生きる」
以前の作文にも書いたが、僕は最初、この言葉の意味をはき違えていた。
誰の言葉にも耳を傾けず、自分で決めた事だけを信じて行動する。
「そうじゃないぞ」と言ってくれたのが長田先生だった。

そこからかなり変わっていったと思う。色んな人の話を聞き、自分には何が必要で何が不必要なのかを判断する能力がついた。正解や失敗はあったが、その失敗こそも、今や成功であると言える。
以前の概念で言ったら、自分は物凄くブレ続けて来た。

だが、吉川さんの言う「ブレない」はそういうことではない。
根幹にある「夢」と言う目的地をブレさせるなと言っているのだ。
どんなに遠回りしたって、別の道や別の山を登っても良い。だが必ずその「夢」と言う目的地に必ず着け。
その思考、概念が「ブレない精神」なのだ。もっとわかりやすく言えば、「ブレない精神=妥協しない」という事。

 

去年は僕の中で大きな一年になった。夢を見つけ、自分の中に一本の幹が出来た。その幹は日々の成長、経験で大きく、強くなっている。

 

ダッシュしようとか、とにかく近道とかは考えていない。薄っぺらい人間で例え「夢」という頂に立っても、それは「汚い大人」だったらり、「長いものに巻かれる」だけである。それより、大きい成長、色んな経験をして、自分の中の幹を太く、大きくして行くことが大切なことだと思っている。

 

非現実的な思想はあまり好まないが、神はいると信じてる。
「神は自分に出来ない試練は与えない」と言う有名な言葉がある。
それは素直に、バカ正直に受け止めたいと思う。
簡単な「夢」などつまらない。
「辛くないってことは、“生きてない”とも言える。」と吉川さんも言っている。

 

周りの友達と先生方と親と、僕に関わって下さっている方たち全員に、どんな時も「蘭の様に華やかに」生きて行き、「夢」に向かって「竹の様に真っ直ぐに」ブレずに、生きていく。
今までも、これからも。

 

一生涯、僕の背中を押し続けるであろうこの言葉に、幸せの祈りを込めて。

 

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