これは何だろう?
「長田のコラムを読んで」かな?
1月7日 1873?回目
「何事も根は同じ」
投票用紙の1番上に書いたこのコラム。昨日ブログを見てビックリした。先生が布袋さんの本を本屋で見つけて読んでいらっしゃる事は、以前の僕の作文のコメントに記して下さっていたので知っている。だが、こうもまた昨日投票用紙を記入しようとした矢先、昨日のブログにこの本についてのコラムがあったからだ。
運が良かったのかもしれない。そして、何だか嬉しかった。
先生のコラムは好きだ。本が読むのが遅い自分は、先生のコラムみたいに短くまとめてある書物を好む。伝えたい事だけをしっかり伝える。だから面白い。
毎回思うのが、「作文用紙1枚書け。」と「1枚以上書け。」では今の自分にとって完全に後者の方が簡単だ。内容を簡潔にまとめる。その能力が必要だと痛感する。勉強と一緒で、やはり作文も時間や量より「質」なのだ。この布袋さんの本の先生のコラムを読んでくれる人がいれば、またそれも嬉しいことだ。
これから受験という大きな壁が待ち受けてるなか、自分が大きい口を叩けない学力の良し悪しは別として、友達の心境がちょっと可哀想に思える時がある。名前は伏せるが、「受験どうするの?」と聞いて「まぁ数学と英語だけやっとけば大丈夫でしょ」とか「とりあえず大学に行かないと親が…」とか、なんか「違うだろ?」って言いたくなる。誰の人生でもない。自分の人生。主人公は自分なのに、脇役に動かされてる。ドラえもんで例えると30分間ジャイアンオンリーのようなものだ。何も面白くない。(ちょっと面白そうなのは置いといて..)
そうじゃない。
幸せでかっこいい人生を送っている人達(僕の場合は布袋さんと吉川晃司)が、「夢を見ろ」「失敗を恐るな」と言っている。だから、僕は夢を持つし、失敗を恐れない。「夢ばっか語って恥ずかしくないの?現実見ろよ。」と言われたことがある。<span style=”color:#FF0000;”>「夢を語れない奴が現実見たって何も感じねーだろ。」</span>と応えた。現実ばっか見てたら一歩も前に出ない。
先生のコラムにはあの何ページもある本を短くまとめてくれている。あれを読んで、そして、先生の色々なコラムを読んで、これからもっと先の将来に繋げて欲しい。それは、僕がそうしているからである。僕の先生像をぶち壊したのは長田先生だった。1ステップ先のことしか言わない先生が僕の中では大半だった。(高校で言えば大学入試)だが先生は違う。受験の話をする時、いつも先の将来の話をしてから、そのために何が必要かを伝える。先生は僕らが第一志望大に受かることが目標だと言っている。
そして、あくまで予想だが先生の夢は「僕らが幸せになること」なのではないかと信じてる。
先生はいつも言う。「周りは敵じゃない」だから先生のコラムを読んで、「なんとなく」や「誰かのために」とかで今を過ごすのではなく、「自分の為」に今を過ごして欲しい。
「俺が生きたいように生きる。」
それが親の夢だ。
少しくらい、わがままになってもいいんじゃないかな?
長田
やっとこのコラムを載せられた・・・。はい、長田は自分のために、生徒の幸せを考えています。まさのぶ、なかなか分っているね~。
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