まさのぶ。5

これはテーマが「感謝の手紙」かな?

 

 

1月23日祝日

17年間生きてきて、恥ずかしながらこの日が勤労感謝の日だと知らなかった。いや、存在はもちろん知っていたが、誕生日、クリスマス、父の日、母の日、子供の日よりは、断然影の存在だった。

 

根本的に今日の今日までこの日に勤労の感謝を改めてしていなかったのだ。これは捉え方次第だが、僕はこれを当たり前だと思っていた。特別こんな日を作ることでもない、と。それは、自分自身が親に対して毎日感謝をしていたと胸を張って言えたからであった。感謝してるからこそ、親の負担を無くすためにできる限りの手伝いはするし、わがままもそんなに言わない。毎日感謝してるに、改めて「感謝しよう」と言われても、「日頃してない奴がやること」だと思っていた。ただ学校が休み。それだけの事だった。

 

中学時代、口先だけの奴が嫌いだった。出来もしないことをあたかも出来るように話すやつ。中学1年の時の自分だった。

 

中学2年の時、ボソッと父親が呟いた言葉を今でも覚えてる。<span style=”color:#FF0000;”>「馬鹿の不良はカッコ悪いけど、やる事やってる不良はかっこいいよな。だって何言われたってやることやってんだから。何もできねー奴が言われたことに反論ばっかしてたらただのアホだろ。」</span>という言葉だ。自分は勉強も出来なければ、部活のサッカーでも結果が出せない。なのに自慢に似た大口だけ叩いてる。自分はカッコ悪い男だと気付いた。

 

それからは結果を出すまではとにかく静かだった。「結果を出してから言ってやる。」ただそう思っていた。だがしかし、良くか悪くかすぐに結果を出せた自分は、なぜか大口を叩くことが馬鹿らしくなった。やっていることが当たり前だと感じたのだ。

 

それからは、周りで実際に出来ない奴が、僕は出来ると自慢げに大口を叩いてる奴が嫌いだった。

 

だから中学時代、感謝の気持ちはとにかく態度で示してきた。気付いてるか気付いていないかはどうでもいい。「自分は感謝の為にこんな事をしているんだぞ」なんて言うつもりなんてまっさらない。ただ自分はベストを尽くしてる。それだけで感謝出来ていると思っていた。

 

文脈が過去形の通り、今年は違う。

 

中学の延長と言われるだけあって高校1年では全く気付かなかった事がある。

 

自分の評価は、自分でしない。

 

勉強面は点数。運動面では結果。その他の面では他人。

 

自分がどれだけ感謝をしても、どれだけ行動しても、親に伝わらなければ意味がない。

 

自己満足はいらない。それ以前に自己満足も出来ない人生はいらない。

 

感謝の気持ち。今までしっかり自分がやって来たからこそ言える。

 

自慢や大口は叩くつもりはない。
ただ感謝の気持ちを伝えたい。

<span style=”color:#FF0000;”>ありがとう。</span>

この秋、また1つ成長出来た。

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