人間を磨く。1

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人間を磨く 人間関係が好転する「こころの技法」 (光文社新書)

人間を磨く 人間関係が好転する「こころの技法」 (光文社新書)

  • 作者: 田坂 広志
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2016/05/19
  • メディア: 新書

 

本来、「欠点」は存在しない、「個性」だけが存在する

そもそも、なぜ、我々は誰かを嫌いになるのか?

しばしば、我々は、人を好きになれないとき、「彼の、あの欠点が嫌いだ」「彼女の、あの欠点は、我慢できない」といった言葉を使うが、そもそも、この「欠点」とは何か?

科学の世界に、この言葉の意味を示唆してくれる、興味深い言葉がある。

それは、「発酵」と「腐敗」という言葉である。

実は、科学の世界における、この言葉の出意義を知ると、誰もがその「非科学的な定義」に驚くだろう。

例えば、牛乳を「発酵」させると、「ヨーグルト」ができる。

一方、牛乳を「腐敗」させると「腐った牛乳」ができる。

では、「発酵」と「腐敗」の違いは何か?

その違いを科学の教科書には、こう書いてある。

「発酵」も「腐敗」も微生物が有機物質を分解する性質

そのうち、人間にとって有益なものを「発酵」と呼び、

人間にとって有害なものを「腐敗」と呼ぶ。

この「発酵」と「腐敗」に関する定義を読むと、読者、「科学的客観性」を超えた「人間中心」の主観的な定義に、驚くのではないだろうか?

そして、この「発酵」と「腐敗」の定義についての「人間中心」の視点を見ると、それが、人間の「長所」と「欠点」を論じるときの「自己中心」の視点と似ている事に気がつくだろう。

すなわち、我々は、「発酵」と「腐敗」の定義を論じるとき、人間にとって有益なものを「発酵」と呼び、人間にとって有害なものを「腐敗」と呼ぶが、同様に我々は、「長所」と「欠点」の定義を論じるとき、自分にとって好都合なものを「長所」と呼び、しばしば、自分にとって不都合なものを「欠点」と呼んでいる。

例えば、今ここに、一人の人物がいる。彼の性格について周りの意見を聞くと、全く逆の評価が戻ってくるかもしれない。

「彼は、おっとりとした性格なので、一緒にいると、気持ちが安らぐんですね。」

「彼はとろいところがあるので、急ぎの仕事などを頼むときはいらいらしますね。」

また、ここに別の人物がいる。彼女の性格について周りの意見を聞くと、やはり全く逆の評価が戻ってくるかもしれない。

「彼女はてきぱきと物事に処する性格なので、一緒に仕事をすると助かるんですね。」

「彼女は短気な性格なので、一緒にいると、なんか気が休まらないんですね。」

このように、一人の人物の性格は、それを見ると立場と、置かれた状況によって、「長所」にもなれば、「欠点」にもなる。そう考えるならば、実は世の中に、本来、人間の「長所」や「欠点」というものは存在しない。

存在するのは、その人間の「個性」だけである。

そして、我々は、その人の「個性」が、自分や周囲に好都合な形で発揮されたとき、それを「長所」と呼び、自分や周囲に不都合な形で発揮されたとき、それを「欠点」と呼んでいるだけにすぎない。

誰かに対して、「彼の、あの欠点が嫌いだ」、「彼女のあの欠点は我慢できない」といった思いが浮かぶとき、我々は、この「長所」と「欠点」の定義を思い起こすべきであろう。

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