言葉の力

これは、おおもり監督のコラムです。

 

言葉の力

 

「先生はよくいろんな言葉が出てきますね。」

と皮肉交じりに言われた。試合を終え一息ついた、きただ先生は優しい顔を取り戻し、毒を吐いた。

 

日ごろから私と接していていろいろな側面から見ているとキザに聞こえたり、浮いた言葉に聞こえたりすることもあるのだろう。

 

私はすべて本気の言葉なんだといった。

 

半信半疑の彼女に説明をした。

 

例えば今日の試合前に俺はお前になんと言ったか覚えてる?

俺はしゃべった言葉もその瞬間の空気も景色も鮮明に覚えている。

 

前の試合が終わる20秒前に

「自分でこの大会が最後の試合と思うなら精一杯楽しめ。会場中広く使って楽しんでこいよ。」

私はその状況で

周囲のほかの選手、チームメイトが「思いっきりいくんだよ、前に出るんだよ、妥協せずいくんだよ」などの言葉を聴いていて

今彼女にかける最適の言葉を捜した。

 

「言葉は力だよ、うちのチームはそこが持ち味なんだよ」

 

と話した。なぜそう思うか?

 

私は以前に大きな過ちを犯したことがある。

春の高校選手権予選前、監督になり4,5年くらいが経ち、それなりに手ごたえを感じていた。

 

調整もうまくいき前日の練習終了後、近くにある武道の神様が祀られている香取神社の境内に選手を集めた。一人一人にお守りを渡し「明日みんなで喜び合おう」と話し、気持ちも最高潮に達した。

 

翌日選手たちの顔を見ると真っ青で柔道をやる以前に体が動いていなかった。もう修正は効かなかった。ベスト8を前にして敗退。なすすべなく敗れた選手たちの顔は信じられないように呆然としていた。

 

そのとき学んだことは、柔道は一瞬の競技で野球やサッカー、ラグビーなどとは試合への入り方が大きく異なることを知った。それからは私は試合場でいかに選手を落ち着いた状態で上がらせるかを考えるようになった。

 

例えば試合会場で呼び出されて相手チームが並んでいたときのこと「しゅうとくこうこう」、と幾度かアナウンスされた、選手は急いで赤帯を締め走って会場に入ろうとした。

 

私は

「ちょっと待て、

 

もう一度帯をはずせ、

 

じゃ行こうか」

 

と何事もないように試合に向かったことがある。そんなことで選手は冷静さや判断力を普段どおりにすることができる。

 

もう一つは選手個々との日ごろからの会話である。その選手がどういう話、どういうトーンで話しかけると一番リラックスした表情になるかをインプットしておく。

 

そうすると試合前にかける言葉の種類が変わってくる。

「お前にまかせたぞ」でよーしと思う選手もいれば硬くなる選手もいる。

 

日ごろの会話が重要になってくる。

 

言葉とは間が大切だと思う。

 

落語から学ぶことが多い。

 

一流で客を楽しませることのできる噺家さんはやはり間の取り方空気を自由自在に操っている。

 

私もここ一番というときには次の行動の何秒前にこの言葉を言おうと常にカウントダウンをしている。

 

しかし選手から見たらいかにも何にも考えてなさそうで、緊張のかけらもない監督を演じている。

 

そこが大きな勝負の分かれ道になる。

 

全国大会の上位に行けば行くほどそういった余裕の行動を忘れてしまう。

その時は負けたときで、後で考えると後悔の念と自分の未熟さを大いに感じてしまう。

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