言葉は力だと話したが、

今月は「おおもり」監督のコラムです。

これは前回の続編になります。

 

言葉は力だと話したが

 

言葉は力だと話をしたが、実際に感じて経験したことを話したいと思う。

 

今から2年前のインターハイで初出場を果たしたとき予選リーグでしぶといS風高校とS陽高校と対戦することになった。初めての舞台ではあったが自分では手ごたえがあった。春の高校選手権で2度準決勝まで進んだという大きな経験値が自分にはあったからだ。

 

インターハイを前にした金鷲旗大会でまさかの4回戦で敗退するという屈辱を味わった。なぜかよく考えてみると、自分が調子に乗っていた。ただそれだけであった。それが生徒にも伝染してどこかで集中力、チーム力のかけた試合になってしまった。

 

インターハイまでの約2週間どうするか考えた。私は徹底的に無視をした。練習メニューも言わなかった。選手は毎日自分たちで話し合い練習開始前に私に「今日はこういう練習をやりたい。なぜならば~~」をつけた紙を持ってきた。否定も肯定もせずただ自分たちの考えたメニューをこなしていた。

 

日ごろから口うるさい人が何も言わなくなると不安が増す。その中で緊張感が自然と高まっていった。1週間無視を続けてそろそろかなと思い、簡単なミーティングをした。翌日から1泊2日の合宿を張った。寮のないチームにとって24時間みんなでいるということは非常に重要なことだと思い、C大学の合宿所に選手6名と泊まった。午前中C大学で練習、午後S大学で練習、夜はみんなで焼肉食べ放題に行って、翌日N体育大学で練習、午後は神宮球場で高校野球決勝の応援、そこで勝負の厳しさ、難しさを学び、解散した。このとき選手6名は家族以上の存在になっていた。

 

佐賀でのインターハイ博多駅周辺に泊まり、レンタカーを借りて1時間かけて移動するという日程を作った。高ぶりや緊張はなかった、みんなと一緒にいられることが幸せに感じられた。1日目は予選リーグ苦戦を強いられたが何とか勝ち残ることができた。車で大型ショッピングセンターに行き、自由時間を作った。

リラックスをしてホテルに戻り明日の緒戦のO牟田高校の対策ミーティングをするといって全員を集め、私は普段通りデパートに買い物に出かけた。その年のO牟田高校は重量級の高校トップクラスの選手が2名いてとても強いチームだった。

金鷲旗大会でも3位に入っていた。私はワイシャツを買い、コーヒーを飲んでホテルに帰った。部屋に着くとO牟田高校のビデオを見ながら議論が進められていた。

 

私が緊張感なく買い物袋片手に

「どうする?明日。」

するとキャプテンのHが

「3年生がしっかり役割を果たして、2年のI、Kには楽に試合をさせたいです。」

と緊張しながら話した。

「はー馬鹿じゃねーの。向こうのエースよりうちの2年生は劣ってるの?」

「いえそうは思いません。」

「だったら3年生が思い切ってやれよ。」

 

3年生の表情がぱっと明るくなった。

私の心の中は不安でいっぱいだったが

「楽勝だって、大丈夫、大丈夫」といいタワーレコードに向かった。

車の中で聴く音楽を買うためだ。

 

これも重要なことで会場の10分前くらいまで、ゆっくりとした、ヴォサノヴァ調のゆっくりとした音楽でリラックス状態を作り、その後ポップな音楽で会場に入る。そんなことで私はここ一番というときはCD代だけでかなりを使う。

 

戦前の予定通り3年生は力を使ったが、勝つことができなかった。2年生に負担がかかったわけだが、こちらとしては予定通り誰も浮つくことなく勝利することができた。決勝では監督の未熟さで負けたが、とてもいい経験ができた。

 

試合後3年生が

「一生このチームで柔道をやりたい。」

と言ってくれたことに、私は幸せを感じた。

この仲間たちと、このチームでとか

個人競技ではあるがそう思える選手たちが育ったときは

強いチームになるのだと思う。

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