定番

今日は「ゆき」のコラムかな。

 

 

駒込学園において必ずと言ってもいいほどに心に残ることがある。それは「般若心経」である。1週間に1度ある朝礼で読み、また水曜日のたまにある仏教行事でも読む。それに今度行く‘比叡山研修’にも写経という形で登場する。だから、般若心経を理解した上で写経に臨みたい。

 

‘般若心経’とは略さないで‘摩訶般若波羅密多心経’=‘偉大なハンニャハラミツの心を説くお経’である。《ハンニャハラミツ》の意味は“さとりそのもの、また、心の底の大きな智慧の海”である。

 

自分が目にしているものは確かにそこにあると思っているし自分というものも確かにあると思っています。しかし、自分たちが思い込んでいるような確実なあり方で存在してはいないのである。

 

たとえていうなら、海の上に立っては消える波のようなもの。常に移ろいゆく、実体がないものである。しかしまったくないわけではない。世界も身体も現実にある。しかしそれは大きな海のおもてに起こっては消える波のようなものである。そして波は海そのものと切り離すことは出来ないふたつでひとつのもの。この海こそが《ハンニャハラミツ》である。

 

この世界のすべてのものが《ハンニャハラミツの大海》とひとつにつながったものとして存在しているのである。そして《ハンニャハラミツの大海》はわたしたちの体の中のそれぞれそのまま入っているのである。しかし、不思議なことに、それぞれのなかに入っている大海は同じたったひとつの大海なのである。

 

参考文献「般若心経 絵本」作:諸橋精光 (小学館)

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