聖徳太子と仏教

今日は「としたか」のコラムです。

 

聖徳太子と仏教

 聖徳太子は仏教を厚く信仰し、日本仏教の基礎を築き上げた人物といわれている。では、聖徳太子はどのようにして日本仏教を築き上げたのか。

 

538年、日本に仏教が伝来した。しかし、50年程後に、当時皇位に就いていた用明天皇が亡くなり、崇仏派であった蘇我氏と廃仏派であった物部氏が、次の皇位をめぐって対立していた。このころ聖徳太子は父親の影響を受け、仏教を信仰するようになった。

 

587年、蘇我氏と物部氏の戦いがあった。最終的には蘇我軍が物部軍を滅ぼして蘇我氏が勝利したのだが、聖徳太子はこのとき戦争に疑問を持ち、この世の幸せを願うようになった。

 

戦争が終わり、皇位には推古天皇が就いてしばらくしたある日、聖徳太子は推古天皇の摂政になることを薦められる。聖徳太子は政治に参加することで、仏教の教えを生かすことができるだろうと考え、摂政に就任する。

 

聖徳太子の政治での活躍はめざましく、冠位十二階の制度を設けたり、外交問題に積極的に参加したりしていた。しかし、仏教はあまり日本に浸透せず、聖徳太子の理想はなかなかかなう気配がなかった。そこで604年、聖徳太子は憲法十七条を発表した。この憲法は仏教の教えを簡潔に表したものである。これによって仏教の教えを広めようと考えたのである。また、経典の講義などを通して仏教を広めていった。

 

聖徳太子は622年に亡くなったが、日本仏教の精神はいまなお根付いている。

 

参考文献:「聖徳太子 日本仏教の祖」(すすき出版)

原作―ひろさちや 漫画―芝城太郎

コメントは停止中ですが、トラックバックとピンバックは受け付けています。